「槙野だったら、何味にする?」
横を向いたヤヨちゃんの体を、しばらくぽんぽんとしていたけれど、寝返りで乱れた掛け布団をもう一度掛け直してから、僕は立ち上がった。
ヤヨちゃんが起きるまでは待っていようかとも思ったけれど、もしもヤヨちゃんが寝たふりだったら、と考えると僕も、ヤヨちゃんも気まずいだろうから帰ったほうが良さそうだ。

熱があるから窓を開けて換気した方がいいとも思ったけれど、眠っているヤヨちゃんしか居ないから、危ないと思ってやめた。

「鍵、借りるね。」

チェストの上に真鍮の様な見た目の薄い受け皿が置いてあって、その中にヤヨちゃんの家の鍵が入れてある。眠っていたら聞こえていないだろうけれど、一応声をかけて、鍵を取って部屋を出た。
ドアはせめてもの換気のつもりで少しだけ開けたままにした。

部屋を出ると、柑橘系の匂いがここまで僅かに香っていることに気がついた。ゆっくりと階段をくだって、玄関にしゃがんで靴を履く。靴紐が煩わしい。

外に出て、ドアに鍵をかける。その鍵はドアに付いている郵便受けから中に入れた。
ヤヨちゃんにはトークアプリに「鍵借りたよ。ドアの郵便受けの中。」と送った。
ヤヨちゃんの家には独立したポストもあるけれど、誰かに見られていたら危ないから使わなかった。

そのまま、力が抜けた様に玄関先にしゃがみ込んだ。

「あーーーーーっ。」

溜め込んでいた物が爆発したように僕は声を出した。

その前を犬の散歩をしているおばさんが通りかかった。僕の声に驚いて、立ち止まって、怪訝そうに一瞬僕を見ていたけれど、すぐに立ち去ってくれた。
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