Ephemeral Trap -冷徹総長と秘めやかな夜-
一線
それまで、わたしにとって本条くんは、耳に入ってくる噂にその場限りの関心を寄せ、遠くから眺めるだけの存在だった。
住む世界が違うひと。
当たり前のように、言葉なんて一度も交わしたことがない。
だから、
「……起きた?」
瞼を持ち上げてすぐに聞こえたその問いかけが、本条くんのものだと、わたしにはわからなかったんだ。
最初にぼやけた視界に映ったのは、天井からぶら下がる不思議な照明。
芸術品のようにふにゃふにゃとした形をしていて、天井や壁に不規則な光の模様を描いている。
なにこの、電気……。
へんなの。
はじめて見た。
ぼんやりとそう思って、先ほど聞こえた声に返事ができないまま、何度か瞬く。
だんだんとはっきりしていく視界に合わせて、……ようやく、自分が見知らぬ場所で目を覚ましたのだということに気がついた。
身体が鉛のように重たい。
首を動かせず、視線だけをあたりに巡らせた。
広い部屋をくるりと一周しかかったとき、誰かの腕が、視界の端に映って。
衣擦れの音とともに、わたしの顔の横で僅かにベッドが沈んだ。
「平石さん。俺のこと、わかる?」
「——」
こく、と渇き切った喉が動く。
「ほん……じょう、くん……?」
窺うようこちらを見下ろした見知った顔に混乱して、わたしはわけもわからぬまま、彼の名前を口にした。