ここは確かに、空だった。
西山からの連絡の後、あかりは病院に走った。一週間程前に泣きながら雨の中走った道を、今度は照らしてくる日差しに汗をかきながら走る。

もうそろそろ夏も終わりか、とどうでもいいことがこういう時に限って頭に過った。









「あかりちゃん」

病棟に着くと、すぐにあかりを見つけた竹下が声をかけた。状況に反して落ち着いた声音であるのは、ベテランの貫録だろうか。

「この間ぶりね。今はゆっくり話している時でもないだろうから、またあとでお話しましょう」

汗と涙で汚れ、肩で息をするあかりに、竹下はそっと触れた。落ち着いて、と言うように。

「芳江さんには、今西山が付き添っているから。良く来てくれたわね、本当に」

「あ……の……おばあちゃんは……」

死んだ?

聞けなかった。しかし汲み取った竹下が、ふんわりと柔らかい笑顔を見せた。その笑顔が優しくて悲しく、あかりの心を突刺しながらも抱きしめてくるようだった。

「芳江さん、まだあかりちゃんが来るのを待っているわ。しっかりお別れしなさい」

そう言って、あかりの肩を押して歩みを促すと、ステーションに隣り合った観察室へと案内された。

心の準備ができぬ前に竹下によって扉は開かれ、そこには芳江がゆっくりと、長く、深く、呼吸をしながら眠っていた。

その隣で、ベッドサイドにしゃがみ込み手をさする西山。その表情は優しく微笑んでいた。

「ほら、芳江さん、あかりちゃん来てくれましたよ、良かったですねぇ」

あかりに気付いた西山が、嬉しそうに笑顔を浮かべながら場所をあかりに譲った。竹下にしても、西山にしても、何故こんなに普段通りに笑顔を浮かべているのだろう。まるで芳江と会話するように言葉をかけている。


『何もできなかったって後悔する人が少しでも減る様に────』


以前、竹下が口にしていた言葉を思い出した。

言葉の意味が何となく理解できる気がした。あかりは深く深呼吸し、空いた場所でいつものようにパイプ椅子に腰掛け、芳江の手を握った。

「おばあちゃん……あかりだよ、ずっと来られなくてごめんね」

その声に、芳江がうっすら瞼を開いた。その瞳に何かを映しているのかあかりには分からなかったが、確かに芳江は声を発した。「あかり」と。

そして次の瞬間、我に返ったようにしっかりと瞳に光を宿した。

「あかり……、あんたらしく生きなさい、あたしらのように死んでいった者達を覚えておいて……心に、生かしなさい」

そして芳江は、力の入らないはずの腕を震わせながら、ゆっくりと天井を指差した。

「……けじめ付けに……会いに行きなさい」

そしてその腕が再びゆっくりと下ろされた。芳江の瞳に一層強い光が宿り、芳江は微笑んだ。そのまま光はだんだんと弱く虚ろになり、閉じられた。


「おばあちゃん……?」





 芳江が、死んだ。








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