ダメな自分を変えたくて、私がした『おいしいパスタの法則』
マーメイドライン
それから何日か過ぎ、千佳ちゃんから先日に話していたモデルを探している知り合いの人が私にぜひ会ってみたいとのことだったので私は仕事を終えてから待ち合わせの駅前へと向かった。
『あっ、美咲さーん! こっちこっち』
私は手を振る彼女とその隣に千佳ちゃんより少し年上に見える個性的なファッションの女性の方へと向かった。
『おまたせ! さっき仕事終わって急いできたよ』
『私達もさっきついたばかりなんです。 あっ、こちらが私の先輩の佳奈《かな》さんです』
その佳奈さんという女性は『はじめまして』と笑顔で私に軽くお辞儀をし私も返した。
そして彼女は私をつま先から頭の先までゆっくりと見渡した。
『ねっ、美咲さんとても綺麗な方でしょ?』と千佳ちゃんは佳奈さんを下から覗き込むようにして笑った。
佳奈さんは『うん』と深く頷いて肩から下げているバックから小さいケースを取り出し、その中から名刺を一枚両手で私に手渡した。
『ウェディング…… 結婚式場か何かで働かれてるんですか?』と私は名刺を見ながら尋ねた。
『結婚式場ではないんですが、海外での挙式などのブライダル関係の会社です。 今、うちの会社の広告モデルを探しているんですが……千佳に誰か綺麗な人いない?って聞いたら美咲さんが適任だ!って言われたんです』
『へぇー、そうなんですね』と私は少し苦笑いで頷いた。
『良ければ、うちの上司に美咲さんの事紹介させてもらってもいいでしょうか?』
『私、そういうの全くしたことなくって広告モデルなんて出来るかな……』と私は少し目線を落とした。
千佳ちゃんは私たちの間にピョンと入って
『とりあえず撮影だけでもしてみる!っていうのはどうですか? もしダメだったらその時はその時で! まぁ絶対大丈夫だと思いますけど』とニコッと笑った。
『しっかりとプロの方々に撮影してもらえるので、その辺は安心して下さい』と佳奈さんも優しく私を見つめた。
『……じゃあ、とりあえず撮影だけでも。 うまくいかなかったらごめんなさい』と私はしぶしぶ了承した。
それから、佳奈さんは会社に送る用と言ってスマホで私の全身を何枚かと上半身のアップの写真も数枚撮った。
そしてその写真を撮った後に佳奈さんは会社の方へと電話している様子だった。
『楽しみですねー! 撮影!』と千佳ちゃんは満面の笑みで私を見た。
『うーん……もう緊張してきた……』
写真なんて最後に撮ったのはいつだろう。
そんなに撮る機会もないから忘れてしまった。
……きっと最後に撮ったのは成人式の振袖の写真とその後の同窓会の時が最後だったと思う。
こういう時の撮影って一体どういった顔をしたらいいんだろう。
千佳ちゃんは笑顔でいいよとは言っていたけれど私は笑顔というものがあまり得意ではない。
『——美咲さん美咲さん! 今佳奈さんの電話の話聞いてたら撮影ウェディングドレスですって!』
『……えぇ!?』
私はギョッとして電話している佳奈さんの方に顔を向けた。
佳奈さんは電話で話しながらキラキラとした目の千佳ちゃんと動揺して慌てている私を交互に見てなんとも言えない表情をした。
ウェディングドレスって……
どうしよう……
それから佳那さんと千佳ちゃんと三人で少し話してから私は用事があると言って二人と別れてある場所へと向かった。
佳那さんの話では私の写真を見た佳奈さんの上司は一つ返事で広告モデルは私でいこうと言ってくれたらしい。
そして、撮影の際の衣装はやはりウェディングドレスらしい。
広告のモデルなどとは知らずにバスの中で千佳ちゃんからの誘いを軽く何も考えずに了承した自分を引っ叩いてやりたい気分だ。
……けれど本当に私なんかでいいんだろうか。
多分私は今ブライダルや婚礼といった言葉からは程遠いような生活を送っている。
恋人がいる人を好きになってしまったり、失恋と言っていいかわからないような状況でへこんだりと
結婚どころかこの先彼氏ができるのかも危うい。
そんな自分に誰かを惹きつけるような笑顔ができるなんて到底思えない。
なんというか日常が充実している人は幸せのオーラというか自分は今幸せだという事が周りにもわかるような何かを醸しだしているような気がする。
その人がいるだけでその場の雰囲気が変わってしまうような。
多分私にはそれがない。
撮影のその時その一瞬だけでもその雰囲気を身に纏いたいけれどきっと努力でどうにかなるものでもないだろう。
多分日々の積み重ねなんだ。
まぁでも、だからって諦めて何もせずに撮影に挑んでしまってはせっかく私を推してくれた千佳ちゃんや佳奈さん、佳奈さんの上司さんの気持ちを裏切る事になってしまうから自分なりに頑張ろうと思い私は書店へと向かった。
出来なかったとしても知る努力だけはしよう。
出来なかった。と やらなかった。では全く違うと思うから。
同じ失敗なら全力で頑張って全力で転けてしまえ。
書店へ入ると私は週刊誌の置いてある方へ真っ直ぐ向かって
ブライダル向けの本を探した。
ウェディングドレスの写真が多そうな目当ての本があったが
そのコーナーには幸せそうに話すカップルが何組かいて、それを見た私はとても自分が場違いな感じがして躊躇してしまった。
そして、その後ろで少し挙動不審にキョロキョロする私に前のカップルの男性が気付き『すみません』と頭を下げてその場から少しずれた。
私は顔を真っ赤にしながらそのカップルに頭を下げて、その棚の上にある結婚式場の紹介の本やウェディングドレスの特殊の本、結婚指輪の本など片っ端から手に取りその大量の本をお腹で抱えるようにしてその場を後にした。
『……あの女の人すごい買っていったね』と去り際そのカップルの女性が小声で話していたのが聞こえて
私は恥ずかしさのあまりその週刊誌のコーナーとは真逆にあるあまり人のいないビジネスや自己啓発などの厚い本がたくさん並んでいる場所まで逃げるようにして避難した。
大量に抱えた本をパラパラとめくって中を確認した。
『うわぁ……キレイ……』
本のウェディングドレスを見に纏った女性の写真のあまりの美しさに私は思わず呟いた。
真っ白な純白のドレスに身を包み、何処か遠くを眺めて微笑む女性。
その写真を見ているだけで優しい気持ちになれる気がした。
きっとこの女性は写真には映っていない大好きな新郎さんを見ているのではないだろうか。
映画のワンシーンを切り取ったような美しさと、そしてその世界へと吸い込まれるような優しい表情。
『私……このウェディングドレスがいいなぁ……』と私は本を見ながらニヤニヤと笑って一人呟いた。
『——鳴海、何してるの?』
突然の声に『うわぁ!』と大きい声を上げて私は驚いた。
顔を上げると目の前にはビジネス本を片手に持った岡田先輩がいた。
私は両手に抱えたブライダルの本を隠すように体を少し後ろに向けた。
先輩は私の咄嗟に隠した本の表紙がチラッと見えたのか目を丸くした。
『な、鳴海ってもしかして……』
『んん?なんですか!?』
『もしかして……妊婦さん?』と先輩はそう言って私抱えた本を指さした。
私は『へっ?』と変な声を出しながら自分の抱えた本に目をやるとブライダルの本の中に混じって一冊だけ赤ちゃんが表紙の出産に向けた週刊誌も間違って持ってきてしまったようだった。
『……大丈夫! 俺、口堅いから! じゃあね!』とそそくさとその場を去ろうとする先輩を私は早歩きで追いかけた。
『えぇ!?……ちょっと待ってください!』
それから会計を済ませながら先輩にこんなにも私が大量のブライダルに関する本を買った訳を説明した。
『——へぇ、広告モデルかぁ。なんかすごいなぁ』
『とりあえず撮影だけでもって知り合いに頼まれてしまって……全然自信もないんですが』
『いいんじゃない? 何事にも挑戦してみるって大事な事だよ。 それにさ』
先輩は何かを言いかけようとして少し言葉を詰まらせた。
私は先輩を見つめて首を傾げた。
『——いや、あの……俺も見てみたいなって思ってさ、鳴海のドレス姿』
とそう少しだけ照れながら話す先輩の言葉が嬉しくて私は思わず少し下を向いて溢れそうになる照れ笑いを下唇に少しだけ力を入れて必死で堪えた。
『……もし、この撮影が上手くいったらご褒美が欲しいなぁ……なんて』と私は先輩の顔は見ずに照れながらそう言った。
『ん? ご褒美?』と先輩は微笑みながら首を傾げた。
『えっと……休みの日にでも、どこかに出掛けられたらなぁって』
『鳴海とはよくご飯行ったりするしさ、それじゃいつもとあまり変わらなくない?』と先輩は笑った。
『はい、そうなんですが……なんというか……前もってこの日に遊びに行こう。ってしっかりと予定を立てて楽しいなって思える一日を過ごせたらな……って』
先輩は恥ずかしそうに話す私を優しく見つめて何度か頷いた。
『うん、行こう。 じゃあ撮影頑張って』と先輩は私の肩をポンポンと軽く叩いた。
『やったー、すごく頑張れそうです』と私は小さくガッツポーズをして笑った。
書店の前で先輩と別れて家に帰る途中に佳奈さんから電話がかかってきて撮影は週末に撮影する事となった。
佳奈さんの働く職場があるビルの中にフォトスタジオがあるらしく当日はそこで撮影するようだった。
メイクも衣装も撮影前にスタジオで済ませるので準備などは一切いらないが食べ過ぎや寝不足などには注意して生活してくださいと伝えられた。
前よりも少しだけ毎日が充実しているせいなのか自分の食欲が半端ではなくて少しそれが心配でもあった。
食べ過ぎには気をつけよう。
けど少しくらいお腹がポッコリしたとしても加工かなにかでどうにかならないものなのかな?とか思ったりした。
けれど加工され過ぎて別人のようにされてしまったらそれもそれでショックだけど……
けれど、不安にしか思わなかった撮影がほんの少しだけ楽しみになったりしていた。
……私って自分で思っていたよりも意外と単純だ。
……まぁ、でも少し積極的に頑張った日なんだから少しくらい大目に見てよ。
家に帰る前に私は珍しくスーパーへと立ち寄った。
流石に撮影をあと何日か後に控えているのにコンビニ弁当を食べるわけにもいかないなぁなんて思ったりして。
私は入り口でカゴを手に取りそれを横にあるカートに乗せて生鮮コーナーの方へと向かった。
今まで自分の食生活を改善しようだとか考えたことはなかった。
した方がいいかな程度には思ってはいたけれど、なかなか行動に移すキッカケもなかったし。
でも肌の事を考え始めるとやっぱり一番に見直さなければいけない感じがする。
だって自分の体の中に入れるものだし、どうでも良いわけがない。
食べるものはいわゆる自分の源のようなものだ。
あと数日しかないけれど体の中から綺麗になろう。
私は棚の上にある大きくて真っ赤なトマトを手に取った。
こんな風にスーパーで食材を選ぶのはいつぶりだろうか。
別に料理が苦手だったり嫌いな訳では決してない。
入社したての頃は毎日しっかりとしていたし職場に持って行くお弁当も自分でちゃんと作ったりもしていた。
どちらかといえば自炊は好きな方だったりしたのだけれど
だんだんと食欲がなくなっていく自分に料理を作る意味があるのだろうか。と思い始めてきてから適当に食事を済ませるような生活が始まった。
……帰ってから冷蔵庫の中も整理しなくちゃなぁ。
私の部屋の冷蔵庫の中は食べるものよりも賞味期限がもうきれているであろうドレッシングや買ったけれど食べきれなかったゼリーなどが散乱している状態で、お世辞にも女性の一人暮らしの冷蔵庫の中とはいえない状況だ。
私生活が上手くいかなくなってしまえばしまう程にそれと比例して冷蔵庫の中だったり部屋の中だってごちゃごちゃになっていった。
しなくなっていたお弁当づくりもまた始めてみよう。
撮影前夜、私はベットの上で案の定全く眠れない夜を過ごしていた。
明日のことを考えると不安で心臓がどうにかなってしまいそうだ。
短い時間ではあったけれどやれるべきことはやった。
何度もブライダル雑誌の写真のモデルさんの表情や姿勢など参考になる所は紙に書き出して自分なりに鏡の前で何時間も確認してみたり、ここ数日は食生活にだって気を遣っている。
添加物をなるべく取らないように自炊だって頑張っている。
でも気を遣えば使う程に不安も増していく気がした。
それはきっと本気でぶつかって失敗してしまうのが怖いからなのかなって思ったりする。
多分、適当に何も考えずに明日を迎えて失敗したとしても『あぁ、やっぱりダメだったな』くらいにしか思わないだろうし自分に言い訳がいくらでも出来てしまうから。
本気で取り組めば取り組むほど逃げ道は少なくなっていくから不安になってしまうのだろう。
不安を少しでも取り除く為に誰かの声が聞きたい。
そう思い私はベットの隣の棚の上から充電しているスマホを手に取った。
『——はーい!』
『……もしもし千佳ちゃん? こんな時間に急に電話したりしてごめんね。 明日の事考えると緊張して全然寝付けなくって』
『いえいえ、私も美咲さんにメールしようと思ってたんです。 明日何時からなんですか?』
『明日ね午前中のの十一時に佳奈さんの働いてるビルに集合なんだー。 メイクだとかも何もしないでそのまま来てって言われたんだけど……本当にすっぴんで行って良いのかなぁ……』
『……んー、私はすっぴんで行った方がいいと思います。 多分、撮影の時は照明の明るさだったりとか選ぶドレスにしてもベースメイクの仕方から変わってくるでしょうし、普段しているメイクとはまた違うものだと思いますよ。 そこはしっかりとプロの方々に任せた方がいいと思います!』
『そっか……うん、そうだね。 じゃあ私明日バッチリすっぴんで行く! マスクとメガネで顔隠して!』と私は少しおどけてそう言った。
『全然隠さなくても大丈夫だと思いますが…… そうそう、美咲さん朝って結構むくんだりします?』
『そうだなぁ……どちらかといえばむくみやすいかなぁ……』
『小顔になるリンパマッサージって知ってますか?』
『えっ……何それ? 教えてほしい!』
『言葉じゃちょっと説明しづらいなぁ……あっ、今から少しだけビデオ通話出来たりします?』
それから千佳ちゃんにビデオ通話で丁寧にクリームを使ったリンパマッサージなるものを教えてもらった。
鎖骨から首にかけて、そして顔全体の血行を良くしていくものだった。
プロのスタイリストの方々もメイク前にするものらしい。
『——やっぱり千佳ちゃんってすごいなぁ』
『ん? 急になんですか? 何も出ませんよ?』
『お世辞とかじゃなくって素直にそう思ったの。 私が学生の頃に千佳ちゃんみたいな友達がいたら全然違う人生歩んでたんだろうなぁって思って』
『そう言ってくれると嬉しいです。 まぁ……美咲さんは学生ではないですが、でも私たち知り合えたじゃないですか。 これからたくさん思い出作っていきませんか?』
『うん、たくさん作りたい!』
『じゃあ、まずは明日の撮影を素敵な思い出の一つにしてきてくださいね! 明日がうまくいくように私願っているので』
千佳ちゃんと話していると自分がなんでも出来てしまうんじゃないかって思えてしまうんだ。
私が今一番欲しい言葉をピンポイントでくれるような私の心の支え……いや、心の大黒柱のような存在だ。
出会えてよかった。 そう言ってしまうと告白みたいになってしまうから言わないけれど
でも全然、大袈裟なんかではなくって心から……心の底からそう思ってて
私にとって彼女は真っ暗なトンネルの中を灯してくれる一筋の光のような存在だ。
カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日で私は目を覚ました。
枕の隣にあるスマホを見て昨日千佳ちゃんと話しながら自分が寝落ちしてしまった事に気づく。
スマホの画面を見るとメッセージが一件入っていた。
千佳: 美咲さん頑張れー!!
『ありがと、頑張るからね』と私はそう呟いてベットから降りた。
朝食を軽く済ませて、私はメイクはせずに着替えて髪を整えた。
そして、バックの中から先日雑貨屋で買った小さな写真立てを取り出し、テーブルの上の赤い封筒の中に入っている誕生日の日に岡田先輩と食事に行った時に店員さんに撮ってもらったツーショットの写真を写真立ての中へと入れた。
『——先輩、私行ってきます』と私は写真を指で軽く撫でてつぶやいた。
『——佳奈さん、おはようございます!』
佳奈さんから送られてきた地図を確認しながら目的のビルの前へ着くと佳奈さんがビルの入り口の自動ドアの横で私を待っていた。
『美咲さん、今日はよろしくお願いします』と佳奈さんはお辞儀をした。
『こちらこそよろしくお願いします』と私は佳奈さんを見つめて笑った。
『美咲さん緊張してるかなー?って思ったんですが……大丈夫そうですね』
自分でも驚くほどに心の中は穏やかだった。
それはもう後に引けない状況だからなのか、さほど緊張はしていなかった。
『……千佳ちゃんのお陰かもしれません。 昨日の夜寝れなくって千佳ちゃんと電話した時に教えてくれたリンパマッサージで顔の緊張がほぐれたのかも』
『千佳って何も考えていないようで意外と確信つく事言ったり、すごく勇気づけてくれたりしますよね』そう言って佳奈さんは微笑んだ。
『わかります。 千佳ちゃんと話していると、たまにどっちが年上かわからなくなっちゃったりします』
佳奈さんはフフッと微笑んで『不思議な子ですよね。 では、こちらへどうぞ』そう言って中へと案内された。
綺麗なビルの中へ入ると私たちは入り口近くのエレベーターで上の階へと上がっていった。
『——うちの会社で年に何度かパンフレットやポスターの作成の時に使う写真はここのスタジオのカメラマンの方にお願いしてるんです。 ここのスタイリストさんも有名な方なんですよ。 大手の広告の芸能の方のメイクも担当してたりと……』と佳奈さんはエレベーターのドアの横にあるフロアのモニターを見ながらそう言った。
『へぇー、すごいですね』と私は頷いた。
そして、撮影のスタジオがあるフロアへと着くと観葉植物が所々に置かれてある木目調の看板が印象的なスタジオへと案内された。
入り口には白いドレスを着た綺麗な女性の写真や和装の今時の色鮮やかな写真などが飾られていて、私はその写真の美しさに思わず見惚れて立ち止まった。
受付の方に立っている女性が佳奈さんに気付き軽く手を振りながらこちらへと向かってきた。
『——はじめまして。 今日、鳴海さんを担当させていただきます』と髪を綺麗にまとめたワイシャツ姿の少し小柄な女性は胸についているネームプレートの端を軽く持って私に向けた。
『生田さんて言うんですね。 よろしくお願いします』と私は頭を軽く下げた。
『昨日はよく眠れましたか?』と生田さんは笑顔で尋ねたが
目の奥は真剣そのもので私の髪の先から眉の形、それどころか毛穴まで見透かしているようだった。
私は『はい』と少し苦笑いで頷いた。
彼女は『よかったです』と笑顔で頷いて続けた。
『鳴海さんの髪サラサラですね。 色もとてもいいです。 最近染められたんですか?』
『はい、行きつけの所の美容師さんに勧められた色に思い切ってしてみたんです』
『鳴海さんの事しっかりとわかっている人なんでしょうね。根元までムラなくしっかりと均一に染まっていますし、良い美容師さんです。 たまに撮影の時に伸びた根元のままきちゃう方もいるんです。 どうやって隠そう……って頭の中そればかりになっちゃったりするので良かったです』
彼女の話を聞いて私はただただ心の中で山田さんありがとう……と深く深く感謝した。
『——そういえば撮影用のドレス、何個か候補あるって言っていたの決まったんですか?』と生田さんは佳奈さんに尋ねた。
『そうそう、美咲さんに実際に試着してもらってから決めようと思っていたんです。 個人的にAラインのウェディングドレスがいいかなぁと……』と佳奈さんは言った。
『じゃあ、早速試着してみましょうか』そう言ってスタイリストさんは私たちを奥の衣装部屋へと案内した。
その衣装部屋には何十着もの色とりどりのドレスが掛けられてあった。
その中に一際白く存在感を放っている純白のウェディングドレスが飾られていた。
『うわぁ……すごい綺麗……』と私は目を丸くした。
『わかります。 実際にこうして目の前で見ると存在感というか輝きがすごいですよね』と佳奈さんは笑った。
『せっかくですので美咲さんどれか着てみたいもの選んでみませんか?』と佳奈さんは言った。
私はそのたくさんのドレスを端から端まで見渡した。
『……マーメイドのドレスを着てみたいです』と私は少し照れながらそう言った。
佳奈さんは少し驚いた表情をして私を見つめた。
私は佳奈さんの表情を見て自分が何かとんでもないない事を言ってしまったんじゃないかと少し慌てた。
『あっ、ごめんなさい。 違うんです、美咲さんがよくマーメイドラインを知ってたなぁと驚いたんです。
それにかなりボディラインがくっきり出るドレスなので提案してもモデルさんから敬遠される事も多くて……本人から着てみたいって言われたの初めてだったもので』と佳奈さんは笑った。
『——是非メイクして着てみましょう!』と生田さんはウェディングドレスがたくさんかけられた場所からマーメイドラインのドレスを何着か選んだ。
別室の大きな鏡がある準備室へと案内されて私は部屋の角にある大きなドレッサーの椅子へと座った。
『ではでは、早速メイク始めていきましょうか』
生田さんはそう言ってメイク道具が沢山のった車輪のついた作業台を私の隣へと運んだ。
そして手慣れた手つきで作業台からクリームを手に取りそれを自分の手の甲に軽く出した。
『鳴海さんは普段は何をされている方なんですか?』と彼女はクリームを私の額や頬に軽くのせながら尋ねた。
『普通の会社員です。 朝から晩まで椅子に座ってパソコンとにらめっこしています。 普段はこんな風にメイクしてもらったりだとか、そんな機会がないのでどうしていいのかわからなくって』
『そうなんですね。 お綺麗な方なので素人の方じゃないのかな?って思ってました』と彼女は笑った。
彼女は冗談を交えながら終始笑顔で話しかけてくれた。
けれど手元の作業はとても繊細で時折鏡に映る自分の変わっていくその姿に私はただただ驚愕するばかりだった。
きっと彼女が何気なくしている会話も緊張の緩和が目的なのだろう。
現に彼女と話していると自分がさっきよりも断然にリラックス状態であるような気もする。
それは多分彼女の人柄もあるだろうが、それとはまた別に彼女の返答や発する言葉には否定的な言葉や人を揶揄するような言葉は全くと言っていいほど無い。
とても親身になって深く頷いて共感してくれたり会話一つにしても彼女の凄みをとても強く感じる。
彼女の手にも、そして目には迷いやためらいなんてものは一切感じられない。
自分の好きなことをしている人はどうしてこうもみんな輝いているのだろう。
この生田さんや千佳ちゃん、私の職場のビルの入り口に貼られたポスターの中のあの女性スポーツ選手にしてもそうだ。
流石に一流の人と自分を比べてしまうのはどうかと思われるかもしれないけれど、その人達の生きる一分一秒の価値は私となんら変わりない。
だから余計にその生き生きとした顔を見るととても羨ましくもなってしまう。
しばらくして私のヘアセットとメイクが終わると試着室で佳奈さんと生田さんにマーメイドラインの細身のウェディングドレスへと着付けてもらった。
『——美咲さん、とってもお似合いです』と佳奈さんは試着室の大きい姿見の鏡に映るウェディングドレス姿の私を見て笑顔でそう言った。
『……うん、とても似合っています。 撮影はマーメイドラインがいいんじゃないでしょうか』と生田さんもアゴに手を当てながら私を見て深く頷いた。
私は鏡に映る自分を見て息を飲んだ。
少し光沢のある肩が大きくあいたその真っ白なドレスは自分の体の曲線をなぞるように下へと流れて行き着いたその先は人魚の尾ひれのように長く華やかに広がりながら伸びていた。
その白く美しいドレスと後ろへと立体的に編み込まれ襟足の方で綺麗にまとめられた髪、そしていつもとは違う艶っぽい鮮やかなメイクに自分が別人のように思えて私は感動して言葉を失った。
佳奈さんにドレスの長く伸びた裾を持ってもらいながら私たちはそのまま別室の撮影スタジオへと移動した。
スタジオの方ではカメラマンの方が撮影の準備を済ませていた。
ドラマのセットような背景の前で私はカメラに少し背を向けるようにして立った。
そして、カメラマンは色々な角度からドレスをまとう私を何枚も何枚も撮った。
カメラマンの後ろのモニターでその写りを佳奈さんと生田さんや佳奈さんの会社の上司の方たちが見守るように確認していた。
『美咲さん、とてもいい表情していますよ! もう少しだけ笑顔のパターンもほしいので……何か幸せな事……あっ、好きな人だとかを思い浮かべたりしてみてください!』と佳奈さんは笑顔でそう言った。
少しすると気付いたら私は涙を流していた。
悲しかった訳でも感極まった訳でもない。
ただただ無意識に涙が流れた。
私の異変に気付きモニターで確認していた佳奈さん達は静まり返ってカメラ前の私を見た。
『……ごめんなさい。 私……涙が』
生田さんは涙を手で拭おうとする私に気付いて駆け寄ってきた。
『鳴海さん、とっても良い表情していましたよ』
そう言ってティッシュで軽くトントンと私の頬をつたう涙を拭ってメイクを直してくれた。
それから何度かポーズを変えて写真を撮り撮影を終えた。
佳奈さんは満足そうに微笑んでイメージ通りの写真が撮れたと私に丁寧に頭を下げた。
そして、佳奈さんの上司の方から広告が出来上がったら後日ファイルと今回の出演料をお届けしますと深々とお辞儀をされて私も返した。
うまく行ったかどうかはわからないけれど『イメージ通りのものが撮れた』とそう喜んでいたみんなの言葉がとても嬉しかったなぁ。
『——そうなんですね。 撮影うまくいったんですね! よかったよかった』とバスの中で千佳ちゃんは少しホッとして微笑んだ。
『……で、実はね?』と私は照れながら千佳ちゃんをチラッと見た。
千佳ちゃんは私の表情に少し不思議そうな顔をした。
『……その広告がね、なんかすごく好評だったみたいで、今度ね佳奈さんの会社と提携している結婚式場の雑誌の紹介の撮影してみないか?って話がね。 きてて』
『えー、すごいじゃないですか! 美咲さんの魅力に企業がやっと気がついた訳ですね!』と彼女は急に真面目な顔になってうんうんと頷いた。
『うーん、どうなんだろうね。 この間の撮影の時も緊張でほとんど覚えていないけど……』
バスのアナウンスが駅前に到着することを知らせた。
『——じゃあ、美咲さん今日も仕事頑張ってください!』
『あっ、今日はね。 会社は有給休暇で休みなんだ』と私はそう言いながら席から腰を上げた。
『そうなんですね。 だから今日スーツじゃなくて私服なんですね。 なんかメイクもいつもより気合入っているし』
『今日ね、会社の先輩とこれから水族館にね、行ってくるんだ……今日ちょっと気合い入れ過ぎかな?』
『そういうことですか! 羨ましい…… うぅん、今日もとても良きですよ!』と彼女はニコッと笑った。
『ありがとう。 じゃあ、また明日ね?』と私は彼女に手を振ってバスを降りた。
今日は午前の十時に先輩と駅で待ち合わせをしている。
撮影から何日か過ぎてから会社で岡田先輩から撮影のご褒美の今度のお出かけ水族館ってどう?と提案されてそこへ行こうという話になった。
まぁ、でもそれはそうとバスを降りてから駅前までの道を歩いているとすれ違う人に何故かチラチラと見られているようないつもとは違う変な視線を感じる。
今日の私少し変かな。
先輩との二人きりの休日のお出掛けが楽しみすぎて朝、明るくなる前から準備をし始めたりしていた。
そんなことを思いながら駅前へと着くと駅の入り口で斜め上を見上げながら私を待つ先輩を見つけて私は駆け寄った。
『——おはようございます! お待たせしました!』
先輩は私の声に少し驚いた表情をしたが私に気がつくといつもの優しい笑顔に戻った。
『おっ、鳴海おはよう』
『先輩何かずーっと見てましたけど何見てたんですか?』と私は首を傾げて尋ねた。
『ウェディングドレス姿の鳴海を見てたよ』とそう言って駅の入り口の一角にある旅行会社の窓に貼られた大きなポスターを指差した。
そのポスターに映る女性は涙を流しながら笑っていた。
まるでその笑顔は過去にあった色々な辛い出来事を乗り越えて未来を見つめているように見えた。
でもこの女性がその時に何を思っているのかなんて誰にもわからない。
誰かを幸せを妬んでいるのかもしれないし僻んでいるのかもしれない。
それは私にしかわからないことで。
でもそれはどちらでも良くて
嬉し涙も悲しい涙も悔しい涙も全部きっと明るい未来へと繋がる大切な想いになる。
『——このポスター見てすごく綺麗な人だなぁって思ってたら鳴海だったからさ。 本当びっくりしたよ』
『……っていう事は先輩が私を綺麗だ!って思ってるって事でいいですか?』
少し強引な私に先輩は照れて笑った。
『とても綺麗な写真だけど……見た目がどれだけ変わっても鳴海は鳴海のままだよ。 すぐヘコんだり、一人で頑張り過ぎるところも、たまに可愛いところも全部さ』
『——じゃあ、行こうか水族館デート』と先輩は笑った。
私は笑顔で『はい!』と頷いた。
どれだけこの人の言葉に救われただろう。
きっとあの日も毎年のように一人で誕生日を迎えていたら、今も変わらずに過ごしていたかもしれない。
笑顔が好き。 優しいところもすごく好き。
好きだよって言葉も恋人関係だって所詮口約束でしかない。
口約束だけの恋人関係なんて信頼関係の上にしかないものだから信じれば信じるほど裏切られた時に信頼していた分だけ辛くなる。
でもそれでも信じてみたくなってしまう。
自分のことも信じてほしいから。
誰よりも一番に自分の事をわかってほしいから。
人には見せられない弱さも綺麗じゃないところも
知りたいし、同じくらい知ってほしい。
きっとこれが人を好きになるって事なんだろう。
そして、私はあなたの一番になりたい。
『あっ、美咲さーん! こっちこっち』
私は手を振る彼女とその隣に千佳ちゃんより少し年上に見える個性的なファッションの女性の方へと向かった。
『おまたせ! さっき仕事終わって急いできたよ』
『私達もさっきついたばかりなんです。 あっ、こちらが私の先輩の佳奈《かな》さんです』
その佳奈さんという女性は『はじめまして』と笑顔で私に軽くお辞儀をし私も返した。
そして彼女は私をつま先から頭の先までゆっくりと見渡した。
『ねっ、美咲さんとても綺麗な方でしょ?』と千佳ちゃんは佳奈さんを下から覗き込むようにして笑った。
佳奈さんは『うん』と深く頷いて肩から下げているバックから小さいケースを取り出し、その中から名刺を一枚両手で私に手渡した。
『ウェディング…… 結婚式場か何かで働かれてるんですか?』と私は名刺を見ながら尋ねた。
『結婚式場ではないんですが、海外での挙式などのブライダル関係の会社です。 今、うちの会社の広告モデルを探しているんですが……千佳に誰か綺麗な人いない?って聞いたら美咲さんが適任だ!って言われたんです』
『へぇー、そうなんですね』と私は少し苦笑いで頷いた。
『良ければ、うちの上司に美咲さんの事紹介させてもらってもいいでしょうか?』
『私、そういうの全くしたことなくって広告モデルなんて出来るかな……』と私は少し目線を落とした。
千佳ちゃんは私たちの間にピョンと入って
『とりあえず撮影だけでもしてみる!っていうのはどうですか? もしダメだったらその時はその時で! まぁ絶対大丈夫だと思いますけど』とニコッと笑った。
『しっかりとプロの方々に撮影してもらえるので、その辺は安心して下さい』と佳奈さんも優しく私を見つめた。
『……じゃあ、とりあえず撮影だけでも。 うまくいかなかったらごめんなさい』と私はしぶしぶ了承した。
それから、佳奈さんは会社に送る用と言ってスマホで私の全身を何枚かと上半身のアップの写真も数枚撮った。
そしてその写真を撮った後に佳奈さんは会社の方へと電話している様子だった。
『楽しみですねー! 撮影!』と千佳ちゃんは満面の笑みで私を見た。
『うーん……もう緊張してきた……』
写真なんて最後に撮ったのはいつだろう。
そんなに撮る機会もないから忘れてしまった。
……きっと最後に撮ったのは成人式の振袖の写真とその後の同窓会の時が最後だったと思う。
こういう時の撮影って一体どういった顔をしたらいいんだろう。
千佳ちゃんは笑顔でいいよとは言っていたけれど私は笑顔というものがあまり得意ではない。
『——美咲さん美咲さん! 今佳奈さんの電話の話聞いてたら撮影ウェディングドレスですって!』
『……えぇ!?』
私はギョッとして電話している佳奈さんの方に顔を向けた。
佳奈さんは電話で話しながらキラキラとした目の千佳ちゃんと動揺して慌てている私を交互に見てなんとも言えない表情をした。
ウェディングドレスって……
どうしよう……
それから佳那さんと千佳ちゃんと三人で少し話してから私は用事があると言って二人と別れてある場所へと向かった。
佳那さんの話では私の写真を見た佳奈さんの上司は一つ返事で広告モデルは私でいこうと言ってくれたらしい。
そして、撮影の際の衣装はやはりウェディングドレスらしい。
広告のモデルなどとは知らずにバスの中で千佳ちゃんからの誘いを軽く何も考えずに了承した自分を引っ叩いてやりたい気分だ。
……けれど本当に私なんかでいいんだろうか。
多分私は今ブライダルや婚礼といった言葉からは程遠いような生活を送っている。
恋人がいる人を好きになってしまったり、失恋と言っていいかわからないような状況でへこんだりと
結婚どころかこの先彼氏ができるのかも危うい。
そんな自分に誰かを惹きつけるような笑顔ができるなんて到底思えない。
なんというか日常が充実している人は幸せのオーラというか自分は今幸せだという事が周りにもわかるような何かを醸しだしているような気がする。
その人がいるだけでその場の雰囲気が変わってしまうような。
多分私にはそれがない。
撮影のその時その一瞬だけでもその雰囲気を身に纏いたいけれどきっと努力でどうにかなるものでもないだろう。
多分日々の積み重ねなんだ。
まぁでも、だからって諦めて何もせずに撮影に挑んでしまってはせっかく私を推してくれた千佳ちゃんや佳奈さん、佳奈さんの上司さんの気持ちを裏切る事になってしまうから自分なりに頑張ろうと思い私は書店へと向かった。
出来なかったとしても知る努力だけはしよう。
出来なかった。と やらなかった。では全く違うと思うから。
同じ失敗なら全力で頑張って全力で転けてしまえ。
書店へ入ると私は週刊誌の置いてある方へ真っ直ぐ向かって
ブライダル向けの本を探した。
ウェディングドレスの写真が多そうな目当ての本があったが
そのコーナーには幸せそうに話すカップルが何組かいて、それを見た私はとても自分が場違いな感じがして躊躇してしまった。
そして、その後ろで少し挙動不審にキョロキョロする私に前のカップルの男性が気付き『すみません』と頭を下げてその場から少しずれた。
私は顔を真っ赤にしながらそのカップルに頭を下げて、その棚の上にある結婚式場の紹介の本やウェディングドレスの特殊の本、結婚指輪の本など片っ端から手に取りその大量の本をお腹で抱えるようにしてその場を後にした。
『……あの女の人すごい買っていったね』と去り際そのカップルの女性が小声で話していたのが聞こえて
私は恥ずかしさのあまりその週刊誌のコーナーとは真逆にあるあまり人のいないビジネスや自己啓発などの厚い本がたくさん並んでいる場所まで逃げるようにして避難した。
大量に抱えた本をパラパラとめくって中を確認した。
『うわぁ……キレイ……』
本のウェディングドレスを見に纏った女性の写真のあまりの美しさに私は思わず呟いた。
真っ白な純白のドレスに身を包み、何処か遠くを眺めて微笑む女性。
その写真を見ているだけで優しい気持ちになれる気がした。
きっとこの女性は写真には映っていない大好きな新郎さんを見ているのではないだろうか。
映画のワンシーンを切り取ったような美しさと、そしてその世界へと吸い込まれるような優しい表情。
『私……このウェディングドレスがいいなぁ……』と私は本を見ながらニヤニヤと笑って一人呟いた。
『——鳴海、何してるの?』
突然の声に『うわぁ!』と大きい声を上げて私は驚いた。
顔を上げると目の前にはビジネス本を片手に持った岡田先輩がいた。
私は両手に抱えたブライダルの本を隠すように体を少し後ろに向けた。
先輩は私の咄嗟に隠した本の表紙がチラッと見えたのか目を丸くした。
『な、鳴海ってもしかして……』
『んん?なんですか!?』
『もしかして……妊婦さん?』と先輩はそう言って私抱えた本を指さした。
私は『へっ?』と変な声を出しながら自分の抱えた本に目をやるとブライダルの本の中に混じって一冊だけ赤ちゃんが表紙の出産に向けた週刊誌も間違って持ってきてしまったようだった。
『……大丈夫! 俺、口堅いから! じゃあね!』とそそくさとその場を去ろうとする先輩を私は早歩きで追いかけた。
『えぇ!?……ちょっと待ってください!』
それから会計を済ませながら先輩にこんなにも私が大量のブライダルに関する本を買った訳を説明した。
『——へぇ、広告モデルかぁ。なんかすごいなぁ』
『とりあえず撮影だけでもって知り合いに頼まれてしまって……全然自信もないんですが』
『いいんじゃない? 何事にも挑戦してみるって大事な事だよ。 それにさ』
先輩は何かを言いかけようとして少し言葉を詰まらせた。
私は先輩を見つめて首を傾げた。
『——いや、あの……俺も見てみたいなって思ってさ、鳴海のドレス姿』
とそう少しだけ照れながら話す先輩の言葉が嬉しくて私は思わず少し下を向いて溢れそうになる照れ笑いを下唇に少しだけ力を入れて必死で堪えた。
『……もし、この撮影が上手くいったらご褒美が欲しいなぁ……なんて』と私は先輩の顔は見ずに照れながらそう言った。
『ん? ご褒美?』と先輩は微笑みながら首を傾げた。
『えっと……休みの日にでも、どこかに出掛けられたらなぁって』
『鳴海とはよくご飯行ったりするしさ、それじゃいつもとあまり変わらなくない?』と先輩は笑った。
『はい、そうなんですが……なんというか……前もってこの日に遊びに行こう。ってしっかりと予定を立てて楽しいなって思える一日を過ごせたらな……って』
先輩は恥ずかしそうに話す私を優しく見つめて何度か頷いた。
『うん、行こう。 じゃあ撮影頑張って』と先輩は私の肩をポンポンと軽く叩いた。
『やったー、すごく頑張れそうです』と私は小さくガッツポーズをして笑った。
書店の前で先輩と別れて家に帰る途中に佳奈さんから電話がかかってきて撮影は週末に撮影する事となった。
佳奈さんの働く職場があるビルの中にフォトスタジオがあるらしく当日はそこで撮影するようだった。
メイクも衣装も撮影前にスタジオで済ませるので準備などは一切いらないが食べ過ぎや寝不足などには注意して生活してくださいと伝えられた。
前よりも少しだけ毎日が充実しているせいなのか自分の食欲が半端ではなくて少しそれが心配でもあった。
食べ過ぎには気をつけよう。
けど少しくらいお腹がポッコリしたとしても加工かなにかでどうにかならないものなのかな?とか思ったりした。
けれど加工され過ぎて別人のようにされてしまったらそれもそれでショックだけど……
けれど、不安にしか思わなかった撮影がほんの少しだけ楽しみになったりしていた。
……私って自分で思っていたよりも意外と単純だ。
……まぁ、でも少し積極的に頑張った日なんだから少しくらい大目に見てよ。
家に帰る前に私は珍しくスーパーへと立ち寄った。
流石に撮影をあと何日か後に控えているのにコンビニ弁当を食べるわけにもいかないなぁなんて思ったりして。
私は入り口でカゴを手に取りそれを横にあるカートに乗せて生鮮コーナーの方へと向かった。
今まで自分の食生活を改善しようだとか考えたことはなかった。
した方がいいかな程度には思ってはいたけれど、なかなか行動に移すキッカケもなかったし。
でも肌の事を考え始めるとやっぱり一番に見直さなければいけない感じがする。
だって自分の体の中に入れるものだし、どうでも良いわけがない。
食べるものはいわゆる自分の源のようなものだ。
あと数日しかないけれど体の中から綺麗になろう。
私は棚の上にある大きくて真っ赤なトマトを手に取った。
こんな風にスーパーで食材を選ぶのはいつぶりだろうか。
別に料理が苦手だったり嫌いな訳では決してない。
入社したての頃は毎日しっかりとしていたし職場に持って行くお弁当も自分でちゃんと作ったりもしていた。
どちらかといえば自炊は好きな方だったりしたのだけれど
だんだんと食欲がなくなっていく自分に料理を作る意味があるのだろうか。と思い始めてきてから適当に食事を済ませるような生活が始まった。
……帰ってから冷蔵庫の中も整理しなくちゃなぁ。
私の部屋の冷蔵庫の中は食べるものよりも賞味期限がもうきれているであろうドレッシングや買ったけれど食べきれなかったゼリーなどが散乱している状態で、お世辞にも女性の一人暮らしの冷蔵庫の中とはいえない状況だ。
私生活が上手くいかなくなってしまえばしまう程にそれと比例して冷蔵庫の中だったり部屋の中だってごちゃごちゃになっていった。
しなくなっていたお弁当づくりもまた始めてみよう。
撮影前夜、私はベットの上で案の定全く眠れない夜を過ごしていた。
明日のことを考えると不安で心臓がどうにかなってしまいそうだ。
短い時間ではあったけれどやれるべきことはやった。
何度もブライダル雑誌の写真のモデルさんの表情や姿勢など参考になる所は紙に書き出して自分なりに鏡の前で何時間も確認してみたり、ここ数日は食生活にだって気を遣っている。
添加物をなるべく取らないように自炊だって頑張っている。
でも気を遣えば使う程に不安も増していく気がした。
それはきっと本気でぶつかって失敗してしまうのが怖いからなのかなって思ったりする。
多分、適当に何も考えずに明日を迎えて失敗したとしても『あぁ、やっぱりダメだったな』くらいにしか思わないだろうし自分に言い訳がいくらでも出来てしまうから。
本気で取り組めば取り組むほど逃げ道は少なくなっていくから不安になってしまうのだろう。
不安を少しでも取り除く為に誰かの声が聞きたい。
そう思い私はベットの隣の棚の上から充電しているスマホを手に取った。
『——はーい!』
『……もしもし千佳ちゃん? こんな時間に急に電話したりしてごめんね。 明日の事考えると緊張して全然寝付けなくって』
『いえいえ、私も美咲さんにメールしようと思ってたんです。 明日何時からなんですか?』
『明日ね午前中のの十一時に佳奈さんの働いてるビルに集合なんだー。 メイクだとかも何もしないでそのまま来てって言われたんだけど……本当にすっぴんで行って良いのかなぁ……』
『……んー、私はすっぴんで行った方がいいと思います。 多分、撮影の時は照明の明るさだったりとか選ぶドレスにしてもベースメイクの仕方から変わってくるでしょうし、普段しているメイクとはまた違うものだと思いますよ。 そこはしっかりとプロの方々に任せた方がいいと思います!』
『そっか……うん、そうだね。 じゃあ私明日バッチリすっぴんで行く! マスクとメガネで顔隠して!』と私は少しおどけてそう言った。
『全然隠さなくても大丈夫だと思いますが…… そうそう、美咲さん朝って結構むくんだりします?』
『そうだなぁ……どちらかといえばむくみやすいかなぁ……』
『小顔になるリンパマッサージって知ってますか?』
『えっ……何それ? 教えてほしい!』
『言葉じゃちょっと説明しづらいなぁ……あっ、今から少しだけビデオ通話出来たりします?』
それから千佳ちゃんにビデオ通話で丁寧にクリームを使ったリンパマッサージなるものを教えてもらった。
鎖骨から首にかけて、そして顔全体の血行を良くしていくものだった。
プロのスタイリストの方々もメイク前にするものらしい。
『——やっぱり千佳ちゃんってすごいなぁ』
『ん? 急になんですか? 何も出ませんよ?』
『お世辞とかじゃなくって素直にそう思ったの。 私が学生の頃に千佳ちゃんみたいな友達がいたら全然違う人生歩んでたんだろうなぁって思って』
『そう言ってくれると嬉しいです。 まぁ……美咲さんは学生ではないですが、でも私たち知り合えたじゃないですか。 これからたくさん思い出作っていきませんか?』
『うん、たくさん作りたい!』
『じゃあ、まずは明日の撮影を素敵な思い出の一つにしてきてくださいね! 明日がうまくいくように私願っているので』
千佳ちゃんと話していると自分がなんでも出来てしまうんじゃないかって思えてしまうんだ。
私が今一番欲しい言葉をピンポイントでくれるような私の心の支え……いや、心の大黒柱のような存在だ。
出会えてよかった。 そう言ってしまうと告白みたいになってしまうから言わないけれど
でも全然、大袈裟なんかではなくって心から……心の底からそう思ってて
私にとって彼女は真っ暗なトンネルの中を灯してくれる一筋の光のような存在だ。
カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日で私は目を覚ました。
枕の隣にあるスマホを見て昨日千佳ちゃんと話しながら自分が寝落ちしてしまった事に気づく。
スマホの画面を見るとメッセージが一件入っていた。
千佳: 美咲さん頑張れー!!
『ありがと、頑張るからね』と私はそう呟いてベットから降りた。
朝食を軽く済ませて、私はメイクはせずに着替えて髪を整えた。
そして、バックの中から先日雑貨屋で買った小さな写真立てを取り出し、テーブルの上の赤い封筒の中に入っている誕生日の日に岡田先輩と食事に行った時に店員さんに撮ってもらったツーショットの写真を写真立ての中へと入れた。
『——先輩、私行ってきます』と私は写真を指で軽く撫でてつぶやいた。
『——佳奈さん、おはようございます!』
佳奈さんから送られてきた地図を確認しながら目的のビルの前へ着くと佳奈さんがビルの入り口の自動ドアの横で私を待っていた。
『美咲さん、今日はよろしくお願いします』と佳奈さんはお辞儀をした。
『こちらこそよろしくお願いします』と私は佳奈さんを見つめて笑った。
『美咲さん緊張してるかなー?って思ったんですが……大丈夫そうですね』
自分でも驚くほどに心の中は穏やかだった。
それはもう後に引けない状況だからなのか、さほど緊張はしていなかった。
『……千佳ちゃんのお陰かもしれません。 昨日の夜寝れなくって千佳ちゃんと電話した時に教えてくれたリンパマッサージで顔の緊張がほぐれたのかも』
『千佳って何も考えていないようで意外と確信つく事言ったり、すごく勇気づけてくれたりしますよね』そう言って佳奈さんは微笑んだ。
『わかります。 千佳ちゃんと話していると、たまにどっちが年上かわからなくなっちゃったりします』
佳奈さんはフフッと微笑んで『不思議な子ですよね。 では、こちらへどうぞ』そう言って中へと案内された。
綺麗なビルの中へ入ると私たちは入り口近くのエレベーターで上の階へと上がっていった。
『——うちの会社で年に何度かパンフレットやポスターの作成の時に使う写真はここのスタジオのカメラマンの方にお願いしてるんです。 ここのスタイリストさんも有名な方なんですよ。 大手の広告の芸能の方のメイクも担当してたりと……』と佳奈さんはエレベーターのドアの横にあるフロアのモニターを見ながらそう言った。
『へぇー、すごいですね』と私は頷いた。
そして、撮影のスタジオがあるフロアへと着くと観葉植物が所々に置かれてある木目調の看板が印象的なスタジオへと案内された。
入り口には白いドレスを着た綺麗な女性の写真や和装の今時の色鮮やかな写真などが飾られていて、私はその写真の美しさに思わず見惚れて立ち止まった。
受付の方に立っている女性が佳奈さんに気付き軽く手を振りながらこちらへと向かってきた。
『——はじめまして。 今日、鳴海さんを担当させていただきます』と髪を綺麗にまとめたワイシャツ姿の少し小柄な女性は胸についているネームプレートの端を軽く持って私に向けた。
『生田さんて言うんですね。 よろしくお願いします』と私は頭を軽く下げた。
『昨日はよく眠れましたか?』と生田さんは笑顔で尋ねたが
目の奥は真剣そのもので私の髪の先から眉の形、それどころか毛穴まで見透かしているようだった。
私は『はい』と少し苦笑いで頷いた。
彼女は『よかったです』と笑顔で頷いて続けた。
『鳴海さんの髪サラサラですね。 色もとてもいいです。 最近染められたんですか?』
『はい、行きつけの所の美容師さんに勧められた色に思い切ってしてみたんです』
『鳴海さんの事しっかりとわかっている人なんでしょうね。根元までムラなくしっかりと均一に染まっていますし、良い美容師さんです。 たまに撮影の時に伸びた根元のままきちゃう方もいるんです。 どうやって隠そう……って頭の中そればかりになっちゃったりするので良かったです』
彼女の話を聞いて私はただただ心の中で山田さんありがとう……と深く深く感謝した。
『——そういえば撮影用のドレス、何個か候補あるって言っていたの決まったんですか?』と生田さんは佳奈さんに尋ねた。
『そうそう、美咲さんに実際に試着してもらってから決めようと思っていたんです。 個人的にAラインのウェディングドレスがいいかなぁと……』と佳奈さんは言った。
『じゃあ、早速試着してみましょうか』そう言ってスタイリストさんは私たちを奥の衣装部屋へと案内した。
その衣装部屋には何十着もの色とりどりのドレスが掛けられてあった。
その中に一際白く存在感を放っている純白のウェディングドレスが飾られていた。
『うわぁ……すごい綺麗……』と私は目を丸くした。
『わかります。 実際にこうして目の前で見ると存在感というか輝きがすごいですよね』と佳奈さんは笑った。
『せっかくですので美咲さんどれか着てみたいもの選んでみませんか?』と佳奈さんは言った。
私はそのたくさんのドレスを端から端まで見渡した。
『……マーメイドのドレスを着てみたいです』と私は少し照れながらそう言った。
佳奈さんは少し驚いた表情をして私を見つめた。
私は佳奈さんの表情を見て自分が何かとんでもないない事を言ってしまったんじゃないかと少し慌てた。
『あっ、ごめんなさい。 違うんです、美咲さんがよくマーメイドラインを知ってたなぁと驚いたんです。
それにかなりボディラインがくっきり出るドレスなので提案してもモデルさんから敬遠される事も多くて……本人から着てみたいって言われたの初めてだったもので』と佳奈さんは笑った。
『——是非メイクして着てみましょう!』と生田さんはウェディングドレスがたくさんかけられた場所からマーメイドラインのドレスを何着か選んだ。
別室の大きな鏡がある準備室へと案内されて私は部屋の角にある大きなドレッサーの椅子へと座った。
『ではでは、早速メイク始めていきましょうか』
生田さんはそう言ってメイク道具が沢山のった車輪のついた作業台を私の隣へと運んだ。
そして手慣れた手つきで作業台からクリームを手に取りそれを自分の手の甲に軽く出した。
『鳴海さんは普段は何をされている方なんですか?』と彼女はクリームを私の額や頬に軽くのせながら尋ねた。
『普通の会社員です。 朝から晩まで椅子に座ってパソコンとにらめっこしています。 普段はこんな風にメイクしてもらったりだとか、そんな機会がないのでどうしていいのかわからなくって』
『そうなんですね。 お綺麗な方なので素人の方じゃないのかな?って思ってました』と彼女は笑った。
彼女は冗談を交えながら終始笑顔で話しかけてくれた。
けれど手元の作業はとても繊細で時折鏡に映る自分の変わっていくその姿に私はただただ驚愕するばかりだった。
きっと彼女が何気なくしている会話も緊張の緩和が目的なのだろう。
現に彼女と話していると自分がさっきよりも断然にリラックス状態であるような気もする。
それは多分彼女の人柄もあるだろうが、それとはまた別に彼女の返答や発する言葉には否定的な言葉や人を揶揄するような言葉は全くと言っていいほど無い。
とても親身になって深く頷いて共感してくれたり会話一つにしても彼女の凄みをとても強く感じる。
彼女の手にも、そして目には迷いやためらいなんてものは一切感じられない。
自分の好きなことをしている人はどうしてこうもみんな輝いているのだろう。
この生田さんや千佳ちゃん、私の職場のビルの入り口に貼られたポスターの中のあの女性スポーツ選手にしてもそうだ。
流石に一流の人と自分を比べてしまうのはどうかと思われるかもしれないけれど、その人達の生きる一分一秒の価値は私となんら変わりない。
だから余計にその生き生きとした顔を見るととても羨ましくもなってしまう。
しばらくして私のヘアセットとメイクが終わると試着室で佳奈さんと生田さんにマーメイドラインの細身のウェディングドレスへと着付けてもらった。
『——美咲さん、とってもお似合いです』と佳奈さんは試着室の大きい姿見の鏡に映るウェディングドレス姿の私を見て笑顔でそう言った。
『……うん、とても似合っています。 撮影はマーメイドラインがいいんじゃないでしょうか』と生田さんもアゴに手を当てながら私を見て深く頷いた。
私は鏡に映る自分を見て息を飲んだ。
少し光沢のある肩が大きくあいたその真っ白なドレスは自分の体の曲線をなぞるように下へと流れて行き着いたその先は人魚の尾ひれのように長く華やかに広がりながら伸びていた。
その白く美しいドレスと後ろへと立体的に編み込まれ襟足の方で綺麗にまとめられた髪、そしていつもとは違う艶っぽい鮮やかなメイクに自分が別人のように思えて私は感動して言葉を失った。
佳奈さんにドレスの長く伸びた裾を持ってもらいながら私たちはそのまま別室の撮影スタジオへと移動した。
スタジオの方ではカメラマンの方が撮影の準備を済ませていた。
ドラマのセットような背景の前で私はカメラに少し背を向けるようにして立った。
そして、カメラマンは色々な角度からドレスをまとう私を何枚も何枚も撮った。
カメラマンの後ろのモニターでその写りを佳奈さんと生田さんや佳奈さんの会社の上司の方たちが見守るように確認していた。
『美咲さん、とてもいい表情していますよ! もう少しだけ笑顔のパターンもほしいので……何か幸せな事……あっ、好きな人だとかを思い浮かべたりしてみてください!』と佳奈さんは笑顔でそう言った。
少しすると気付いたら私は涙を流していた。
悲しかった訳でも感極まった訳でもない。
ただただ無意識に涙が流れた。
私の異変に気付きモニターで確認していた佳奈さん達は静まり返ってカメラ前の私を見た。
『……ごめんなさい。 私……涙が』
生田さんは涙を手で拭おうとする私に気付いて駆け寄ってきた。
『鳴海さん、とっても良い表情していましたよ』
そう言ってティッシュで軽くトントンと私の頬をつたう涙を拭ってメイクを直してくれた。
それから何度かポーズを変えて写真を撮り撮影を終えた。
佳奈さんは満足そうに微笑んでイメージ通りの写真が撮れたと私に丁寧に頭を下げた。
そして、佳奈さんの上司の方から広告が出来上がったら後日ファイルと今回の出演料をお届けしますと深々とお辞儀をされて私も返した。
うまく行ったかどうかはわからないけれど『イメージ通りのものが撮れた』とそう喜んでいたみんなの言葉がとても嬉しかったなぁ。
『——そうなんですね。 撮影うまくいったんですね! よかったよかった』とバスの中で千佳ちゃんは少しホッとして微笑んだ。
『……で、実はね?』と私は照れながら千佳ちゃんをチラッと見た。
千佳ちゃんは私の表情に少し不思議そうな顔をした。
『……その広告がね、なんかすごく好評だったみたいで、今度ね佳奈さんの会社と提携している結婚式場の雑誌の紹介の撮影してみないか?って話がね。 きてて』
『えー、すごいじゃないですか! 美咲さんの魅力に企業がやっと気がついた訳ですね!』と彼女は急に真面目な顔になってうんうんと頷いた。
『うーん、どうなんだろうね。 この間の撮影の時も緊張でほとんど覚えていないけど……』
バスのアナウンスが駅前に到着することを知らせた。
『——じゃあ、美咲さん今日も仕事頑張ってください!』
『あっ、今日はね。 会社は有給休暇で休みなんだ』と私はそう言いながら席から腰を上げた。
『そうなんですね。 だから今日スーツじゃなくて私服なんですね。 なんかメイクもいつもより気合入っているし』
『今日ね、会社の先輩とこれから水族館にね、行ってくるんだ……今日ちょっと気合い入れ過ぎかな?』
『そういうことですか! 羨ましい…… うぅん、今日もとても良きですよ!』と彼女はニコッと笑った。
『ありがとう。 じゃあ、また明日ね?』と私は彼女に手を振ってバスを降りた。
今日は午前の十時に先輩と駅で待ち合わせをしている。
撮影から何日か過ぎてから会社で岡田先輩から撮影のご褒美の今度のお出かけ水族館ってどう?と提案されてそこへ行こうという話になった。
まぁ、でもそれはそうとバスを降りてから駅前までの道を歩いているとすれ違う人に何故かチラチラと見られているようないつもとは違う変な視線を感じる。
今日の私少し変かな。
先輩との二人きりの休日のお出掛けが楽しみすぎて朝、明るくなる前から準備をし始めたりしていた。
そんなことを思いながら駅前へと着くと駅の入り口で斜め上を見上げながら私を待つ先輩を見つけて私は駆け寄った。
『——おはようございます! お待たせしました!』
先輩は私の声に少し驚いた表情をしたが私に気がつくといつもの優しい笑顔に戻った。
『おっ、鳴海おはよう』
『先輩何かずーっと見てましたけど何見てたんですか?』と私は首を傾げて尋ねた。
『ウェディングドレス姿の鳴海を見てたよ』とそう言って駅の入り口の一角にある旅行会社の窓に貼られた大きなポスターを指差した。
そのポスターに映る女性は涙を流しながら笑っていた。
まるでその笑顔は過去にあった色々な辛い出来事を乗り越えて未来を見つめているように見えた。
でもこの女性がその時に何を思っているのかなんて誰にもわからない。
誰かを幸せを妬んでいるのかもしれないし僻んでいるのかもしれない。
それは私にしかわからないことで。
でもそれはどちらでも良くて
嬉し涙も悲しい涙も悔しい涙も全部きっと明るい未来へと繋がる大切な想いになる。
『——このポスター見てすごく綺麗な人だなぁって思ってたら鳴海だったからさ。 本当びっくりしたよ』
『……っていう事は先輩が私を綺麗だ!って思ってるって事でいいですか?』
少し強引な私に先輩は照れて笑った。
『とても綺麗な写真だけど……見た目がどれだけ変わっても鳴海は鳴海のままだよ。 すぐヘコんだり、一人で頑張り過ぎるところも、たまに可愛いところも全部さ』
『——じゃあ、行こうか水族館デート』と先輩は笑った。
私は笑顔で『はい!』と頷いた。
どれだけこの人の言葉に救われただろう。
きっとあの日も毎年のように一人で誕生日を迎えていたら、今も変わらずに過ごしていたかもしれない。
笑顔が好き。 優しいところもすごく好き。
好きだよって言葉も恋人関係だって所詮口約束でしかない。
口約束だけの恋人関係なんて信頼関係の上にしかないものだから信じれば信じるほど裏切られた時に信頼していた分だけ辛くなる。
でもそれでも信じてみたくなってしまう。
自分のことも信じてほしいから。
誰よりも一番に自分の事をわかってほしいから。
人には見せられない弱さも綺麗じゃないところも
知りたいし、同じくらい知ってほしい。
きっとこれが人を好きになるって事なんだろう。
そして、私はあなたの一番になりたい。