【完】鵠ノ夜[上]
「ゆ、きみ、」
「自分に都合の悪いところ突かれたらそうやって泣く女が一番嫌いなんだわ、俺。
……悪いけどお嬢に何かしようとした、って時点で、俺は端から許すつもりなんてねえから」
「っ……」
はらはらと零れる涙にマスカラが滲んだのか、黒い雫になって落ちる。
心の中の濁りをそのまま写したかのような、真っ黒な雫。お嬢は何も言う気がないのか、俺の肩に頭を乗せて目を閉じて聞いてるだけだ。
「……もう俺に近寄んないで」
「っ、ゆきみ、」
「謝んなくていい。だから俺とか、俺に近い人間。
……お嬢とか五家の人間に、もう二度と近寄んないで」
そう言ってお嬢に「帰ろう」と声を掛ける。
瞼を持ち上げた彼女が俺の名前を呼んだと思えば、柔らかいキスが額に落とされて。よく出来ました、という意味のキスだと理解して、自然に口元が緩んだ。
「胡粋も芙夏も心配してる。
せっかく晩飯出来てんのに、冷めちゃ勿体ねえじゃん」
「そうね。
はとりも、わざわざ一緒に来てくれてありがとう」
先にソファから立ち上がって、お嬢に手を差し出す。
それに手を重ねたお嬢が立ち上がり、バッグを手に取って、一歩踏み出そうとした時。──ガクン、と彼女のバランスが、大きく崩れた。
「お嬢、っ、」
咄嗟に伸ばした手が宙を掻く。
あ、と彼女の崩れる瞬間がどこかスローモーションに見えて。次に耳にしたのは、重く鈍い音でも何でもなく。トサ、とはとりが彼女を無事に受け止めた音だった。
「っ……、よかった」