【完】鵠ノ夜[上]
「いつも意地を張っておられるのに。
……あの方のことになると、とても素直ですね」
優しくわたしの髪を梳く指先。
今日は眠るまでそばに、というわたしのわがままにも嫌な顔一つせず、「わかりました」と頷いてくれる。布団に潜り込んで、彼の手を握った。
「……昔から。
あの方がいない夜は、こうやって眠るまで私と手を繋いでいましたよね。もう懐かしいと思えるほど、昔の話ですが」
「……最近、たくさん憩の話をするわね」
「雨麗様の気持ちにケリを付けていただけなければ困りますから。
あの方をお選びになられるのか、それとも、」
「……憩とはもうなんでもない」
はっきりと言い切って、目を閉じる。
彼が照明の紐を引いたのかカチ、と音がして、閉じた瞼越しの世界が暗くなったのがわかった。
「……雨麗様は、とても可愛いお方ですよね」
「は……? 何言ってるの?」
「……貴方は幼い雛ですから。
御陵という箱の中で暮らしている雨麗様は、外の世界の穢れを知らずに生きておられます。そこに存在する醜い感情をご存知ない」
醜い感情って、どんなものなのかよくわからない。
わたしにとっては、御陵も十分穢れたことをしている組織だと思っているけれど。外の世界を知っている小豆がこう言うってことは、やっぱりまだわたしは何も知らないんだろうか。
「……雨麗様には、そのまま成長して頂きたいです。
それこそ、ずっと私がお側に置いていただけるなら何よりも光栄なことですが」
「……側にいて」
あなたまで離れていかないで、と。
その手を強く握って、彼を見る。目が暗闇に徐々に慣れると彼の表情がよく見えて、櫁、と呼んだ名前が静かに溶けた。