【完】鵠ノ夜[上]
部屋が薄暗くなかったら、きっと、見えていた。
自然と瞳に溜まった涙を隠すために、彼を引き寄せて抱きしめる。触れ合う身体にはちゃんと体温があって、そんな当たり前のことに、安堵した。
もしかすると、泣いていたのははとりの方だったのかもしれない。
抱きしめたまま「はとり」と名前を呼ぶ。
「一度知った事実を……
知らないことになんか、出来ないのよ」
「………」
「こんなこと言ったってあなたは、わたしに腹を立てるだけかもしれない。
ただ、ね。……彼女さんは、きっと幸せだった」
わずかに、はとりの身体が強張る。
そんな綺麗事のような言葉で片付けられないほど、はとりが彼女さんを大事に思っていた気持ちは、もう痛いほどわたしも感じてるから。
ごめんね、と謝ることしかできなかった。
「はとりは……
もし彼女さんが生きているうちにその話を聞いていたら、友だちを捨ててまで、彼女を選んだんでしょう?当たり前よね、大事なんだもの」
憩と出会って、憩を好きになって。
すべて委ねて愛し合うことがどれだけ幸せなのか、わたしは彼から教えてもらった。……だから。
不可抗力に相手を裏切る気持ちの苦しさは、たとえ経験していなくとも、ちゃんとわかる。
もし憩との共通の知り合いに強引に、傷つけられてしまったら。……真っ先に考えることは自分のことではなく、誰よりも愛おしい彼のことだ。
「彼女さんは、ずっとあなたのことを考えてた。
あなたのことをどうすれば傷つけずに済むのか……きっと、そればっかりだったのよ」
「それでも、俺は、」
「自殺なんかしないでほしかった、でしょう?」
ただ抱きしめられているだけだった彼が、その問いかけには返事することなく、強くわたしを抱きしめ返した。
力任せの抱擁。もはやそうすることでしか、息苦しさも、行き場を失った恋情も逃がせない。