【完】鵠ノ夜[上]
「別にあの女だったからとか、そういうのは関係ない。
ただ、前回雨麗が襲われた件からの、あの状況で。……そのままには、しておけなかった」
あの時本気で、柊季は怒っていた。
落ち着いて胸倉を掴んだことも後で謝ってはくれたが、未だにたぶん、あいつは俺の行動に怒ってる。まるで磨りガラスの様だな。
素材自体はそう強くなくて、力を込めれば簡単に割ることが出来る。
けれど普通のガラスと違って、透明度は低い。向こうの姿はシルエット程度にしか見えなくて、だけど全く見えないわけじゃない。
「……英語の参考書なんか買うと、
赤いシートがついてることあるじゃない?」
「……あるな」
「あなたの、はとりのやったことを、赤い文字で書いたとするでしょう?
その時、柊季やほかのみんなから見たあなたは、何も被せていないそのままの状態なの。でもわたしが赤いシートで隠せば、それは見えなくなる」
雨麗の乾き切っていない髪から、ぽつりと水滴が落ちる。
重力に逆らえないそれは、彼女の浴衣に薄らと染みを作って、存在しなかったかのように姿を消した。
「わたしはね。今回、赤いシートを外したの。
あなたがあの場面で首を絞めることを、はじめから想定していたから」
「………」
「……止める気はあったけれど、それ以上に誰かがあなたを引き止めてくれればいいと思ったから。
いつまでも赤いシートの下であなた自身を隠していても、いつかはそれと向き合わなければいけない日が来るから。……だから、あえて外したの」
前に、誰かがリビングで「お嬢は本当に俺らのことをよく見てる」と言っていた。その誰かは雪深で、話し相手はおそらく胡粋だ。
「見てるだけじゃなくて、なんでもお見通しなんでしょ」っていうあの言い方的にな。
「わたしは、いつでも赤い文字を隠すことも晒すことも出来る。
だから今回、都合よく利用させてもらった。……柊季が止めてくれたことで、あなたの心はちょっとでも変わった?」
「……変わらなかった、わけじゃない。
今回のことは俺もやりすぎたと思ってる。ただ、あいつのために復讐することを考えたら、いざその時に同じことを言われても止められる自信はない。……止める気もない」
その部分は、誰になんて言われようと変わらない。
たとえ、彼女が俺の意見に反対して「やめなさい」と今回のことのように命令したとしても、やめる気はない。