【完】鵠ノ夜[上]
横目で見た時計は、もうすぐ2時を指す。
電話の向こうでぱちぱちとキーボードを叩く音が聞こえるから、こんな時間でも彼は仕事をしているらしい。……今日は少し余裕があるだけのわたしが言うのも、なんだけど。
『はっ、深い意味なんかねーっての』
「深い意味じゃなくて……
憩の気持ちがこもってたでしょ、薔薇に」
『それ分かってて今まで掛けてこなかったっつうことは、要するにそういうことだろ。
……べつに戻ってこいとは言わない』
「……うん」
わかってるよ、と寝返りを打つ。
枕に顔を突っ伏して、『さっさと寝ろ』と寝かしつけてくる憩に、もごもごとくぐもった返事を返した。なんて迷惑な女だ。
好きだから、とか、そういうのじゃなくて。
ただ安心するから、今はまだ、電話を切りたくない。
「わたし……告白された」
『だからなんだよ。
お前中学でもモテてただろうが』
「……五家の若のうち、ふたりから告白された」
『……御陵も随分落ちぶれてきたな。
主従関係での恋愛禁止はどうなったんだよ』
「わたしと付き合ってたあなたがそれを言うの……?」
くすり、と笑ってしまう。
ああ、懐かしいな。彼がまだ、自分よりも十以上年の離れたわたしに向かって、敬語だった頃。気づけばふたりきりの時はタメ口になって、ひそやかに、物陰でくちびるを重ねていた頃の話。
「誰よりも早く、主人であるわたしに手を出したのはあなたじゃない、憩。
……もう、わたしの使用人じゃないけれど」