【完】鵠ノ夜[上]
──罠に捕まらないとすれば、ね。
「さて、と。
それじゃあわたしは、そろそろ本邸にもどろうかしらね」
「……部屋のチェックするんじゃなかったのか?」
「ああ、そのつもりだったんだけど」
俺から受け取ったハンドバッグ片手にソファを立った彼女が、手で髪を梳いて背中へと流す。
それから誰にともなく微笑んだ彼女は、やっぱり俺らの心を揺らすのがうまい。
「全員でこうやって同じ空間にいてくれてるってことは、ちゃんと部屋の片付けが終わってる証拠じゃない。
シュウも芙夏の部屋も綺麗だろうから、わざわざ確認しなくても平気よ」
たまには、はったりでも良いでしょう?
くすり。笑って、透明な色気だけをそこに残してリビングを出て行く彼女に、はっとして席を立った。
それは俺だけじゃなくて、全員が彼女を玄関まで見送る。
すぐそこの本邸に帰るだけなんだから見送りなんて、と思うかもしれないが、俺らは"こう"在るべきだ。
「春になったからって、油断せず温かい格好してね。
……ああそう、雪深に言いたいことがあったのよ」
「ん?」
「夜。
眠れないのなら、わたしの部屋にいらっしゃい」
「え、」
「おやすみ。……良い夢見てちょうだいね」
引き止める間もなく。
本邸へと帰ってしまったお嬢。うまく反応できなくてぽつんと立ち尽くす俺の肩に、シュウが腕を乗せて。「愛されてんな」と揶揄うように笑った。