【完】鵠ノ夜[上]
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「………」
虫の声も、物音ひとつも聞こえない、静まった深夜の本邸。
昨日だって普通に寝たし、今日だっていつも通り寝ようとしていたのになぜか眠れなくて。
彼女の言葉が引っかかってるわけでもないのに、本当に眠れなかった。
お嬢は来ていいと言ったけれど、時刻は現在午前2時。さすがに眠っているかもしれないから、もし眠っていたらあっさり引き返すつもりだ。
「……お嬢」
ややこしい構造になっている本邸の最奥。
たどり着いたお嬢の部屋で、襖越しに声を掛ける。かさ、と紙が擦れるような物音がして「入っていいわよ」と小さな返事。
……彼女も眠れないのか、眠っていないのか。
掛けた手で襖を開けて、部屋の中へ身を滑らせる。小豆さんが寝る準備をしてから務めを終えたせいか、畳の上にはまだ使っていない布団が一組。
この時間だから天井から下がる電気は付けていないようで、部屋の隅にある木製の机でなにか作業をしていた彼女の隣には灯篭のような朧気な明かりを漏らすライト。
その明かりのせいで、やけに部屋の雰囲気が艶やかで、無意識に息を詰める。
「やっぱり眠れなかったんでしょう」
「……なんで寝れないと思ったの」
「1年間あなた達のことを誰よりもそばで見てきたのよ?
……そばにいたら、それくらいわかるわ」
座るように言った彼女が俺に手を伸ばし、こぼれた髪を掬うように耳に掛けてくれる。
そして、顔を上げた彼女とゆるく視線が絡んだ瞬間。──ふっと、衝動的に身を乗り出して求めたのはどちらだったのか。
「……お嬢、」
くちびるが、触れる寸前。
すこしでもどちらかが動けば、いとも簡単に、触れてしまう。……俺らの距離なんて、まるで無いみたいに。
お嬢が寝巻きに使用してる浴衣は至極シンプルなもので、だからこそ余計に彼女自身の美しさが際立つ。
絡み合う視線から、まったく目をそらせなくて。