【完】鵠ノ夜[上]
「……キスしたら、何か変わる?」
俺の滑稽な言葉にも、彼女は美しく口角を上げるだけ。
……きっとお嬢は答えてくれないし、俺だって、答えなんて求めてない。
彼女の腰に腕を添えると、空気はより密なものになって。
触れようとすれば、彼女の視線が先に逸れた。
お嬢が去年、全員の誕生日にプレゼントしてくれた、浴衣。
それぞれをイメージした柄と色のそれ。
俺のは紺の布地に、桜色と空色の差した菖蒲。
絵の具を水で滲ませたように色が溶ける、グラデーションがすごく綺麗で。
「……愛してるわ、雪深」
俺の浴衣の肩口を広げ、鎖骨あたりに落とされるのは優しく触れるだけのくちづけ。
二度触れたかと思えば、鈍い痛みが一瞬走る。
「……俺も、愛してるよ」
これは呪縛なのだろうか。
彼女は"俺ら"を愛してくれているけれど、"俺"のことを愛してくれているわけじゃない。
なのに赤い痕を残すそのくちづけを拒む理由を、俺は知らない。
……どんな形であれ、必要と、されたかった。
「……お嬢」
そう呼ぶだけの声にも、愛おしさが募って苦しい。
目が合えば「雪深」と名前を呼ばれて、それだけでこれ以上ないくらい幸せに感じる。ただ主従関係でしかない俺らが、唯一、対等な男女でいられる瞬間。
髪に指を差し込まれて、呼吸ごと奪うみたいに、くちびるを塞がれる。
その口づけに応えながら、この部屋に俺の髪色は合わないなとどうでもいいことを考えた。
……そうでもしないと、
たやすく俺が溺れてしまうから。