【完】鵠ノ夜[上]
「昔から顔見知りだったのよ。
中学三年間をあの男に捧げたのはわたしの人生の汚点ね。高校に入って、お互い忙しくなってたから連絡もほとんど取らなかったのも悪いんでしょうけど」
三年間付き合った人。
好きだったの?なんて野暮なことを聞いても仕方ない。どうでもいい男と三年間付き合えるような人じゃないってことは、俺らが一番よくわかってんだから。
「……もう、好きじゃない?」
聞けば、彼女がわかりやすく息を詰めた。
普段は動揺なんて見せないお嬢が、俺なんかでもわかるぐらい、わかりやすく。
……それが、答えだろ?
「……もう寝なさい。おやすみ」
手のひらから、重力に負けて風と共に桜の花びらがひらりと落ちていくみたいに。
ゆっくりと。でも確かに落ちていくその姿を目に焼き付けられるみたいで、噎せ返るような春の匂いがひどく憎い。
「……お嬢。
返事してくれなくていいから、俺の話聞いててよ」
「………」
「俺さ……、俺、ね。お嬢のことが、好きだよ」
口に出すことも、もはや烏滸がましい。
誰かが聞いたら、そんなのおかしいって笑うかもしれないけど。
それでも俺らが生きてるのは、そんな笑われてしまうようなことを本気で思うような世界で。
──だからこそ、囚われるのが怖い。
彼女が動いたのか、わずかに衣擦れの音が立つ。
それから。知ってる、と彼女が小さくつぶやいた。
知っていることを、知ってた上で。
好きだって、お嬢に向けて言ったんだよ。