【完】鵠ノ夜[上]
◇ 朧の月夜、止まぬ花時雨
・
部屋に来て、とは言ったものの。
雪深は返事をしなかったし、来る保証は全くない。来なかったら、それこそ。彼を解放するしかないのだと薄いため息を吐き出して。
「小豆。勤務お疲れさま」
「お疲れ様です。
あまり夜ふかしされないようにお願いします」
「ええ」
いつもと同じ時刻、勤務終了の小豆を見送る。
小豆の今月の休みっていつだったっけ、と日記を開いて確認し、彼が来るのを静かな部屋で待った。今晩、と言ったものの、時刻は指定していない。
「……お嬢、入っていい?」
あくまで彼に任せるスタイルだったが、どうやら彼も約束は守るタイプらしい。胡粋にデートの連絡をした時と同じで、一方的だけれど。
律儀ね、と口角を上げて返事すると、彼がわたしの部屋に足を踏み入れる。
「そういえば、雪深がここに来るのは二度目?
はじめて御陵に来たとき以来じゃない?」
この時刻になると、いつもわたしの部屋の電気は灯篭を模した小さな明かりだけ。
机の端にあるそれは部屋の全部を照らすことが出来ないため、雪深の顔もしっかりとは見えないけれど。今日はそれでいい。
「世間話するなら、帰るよ。
俺、余計なことしたくないタイプだから」
「そうね。じゃあ本題に入ろうかしら」
言いながら、机の前から布団のそばへ移動する。
腰を下ろした彼と向き合うような形になって、運良くその場所に座ってくれたことに内心で感謝しつつ、彼の肩を押した。
「……、お嬢?」
本題に入る、とは言ったものの。
この男相手にむずかしい話をしたって、上手くいくだなんて端から思っていない。胡粋と間を置いて"デート"だってするつもりだったけど、それの効果もあまり期待はしていなかった。