【完】鵠ノ夜[上]
「あなた地元に、彼女いたのね」
「……そんなことまで知ってんだ」
「あなたの両親から聞いたのよ」
はっと、雪深が息を呑んだのが気配だけでも伝わってくる。
自分をよく見ているわけではなかったはずの両親が。話していない彼女のことを、まさか、知っているだなんて思わなかったんだろう。
聖家の親子の距離は、本当にそんなものなのだ。
「うん、まあ……年上の彼女、いたよ。
俺のこともよくわかってくれてて、たぶん行く行くはこの人と結婚するんだろうなって、ぼんやり思ってた。俺が聖の家の息子だって知ってても、「大丈夫」って言ってくれてた人」
彼の甘え癖は、年上の人に甘やかされて育ったからこそのものな気がする。
大人の女性、という言葉がよく似合う色気のある女の人だったと、彼の両親からも聞いていた。雪深は五家の中で見れば誰よりも色っぽいから、その彼女のことも影響しているのかもしれない。
「彼女が先に仕事で東京に行くことになって。
遠距離だって言ってたけど、俺もその数ヶ月後に護衛の話を受けたから、関東に行けることになったって電話で伝えたんだよね。……そしたらさ」
皮肉にも。
彼女から帰ってきたのは冷たい言葉で。そこに愛がなかっただなんて、そんなこと、信じたくなかったはずだ。自分が、まさか。
「『彼氏と暮らしてるから、会えない』って」
浮気相手だったこと、なんて。
わたしだって、本命だと思って付き合ってた相手に浮気相手だったことを知らされたら、悲しむ。悲しみを通り越して、怒るかもしれない。
「しかも『悪いけど、妊娠してもうすぐ籍も入れるから。彼との仲を拗らせるようなことはしないで』って言われたよ。
……ふざけんな、って思って。信じてたから余計にムカついて、でもそれを反動に女の子と遊び始めたら、逆にそっちの方が楽しかった」
愛に飢えて、もらえるはずのそれにも、裏切られて。
それでも、彼がその事実に対して自分の中で塞ぎ込んでしまわなかっただけマシだと思ってしまうわたしは、薄情者だろうか。
わたしは、愛されなかったことなんて、正直ないと思う。
生まれた時から「御陵のお嬢」で。そばには、たくさんの使用人がいて。物心がついたときには自分に忠実に働く人間がいて。わがままを言えば何でも叶うような、甘やかされた世界で生きてきたと思う。