【完】鵠ノ夜[上]







部屋を出てすぐの、縁側で。

今日は口うるさい小豆が休みでいないのを良いことに、一人夜空を見上げる。



あれから少し早いけれど、と彼が連れて行ってくれたのは、お手頃な価格でフレンチを食べられるレストラン。

そこでランチを済ませ、向かったのはアパレルショップが立ち並ぶ大型商業施設。



といっても前に胡粋と行ったところとは別の場所だ。

普段は和服が多いために洋服をあまり着ないわたしに、彼が何着かお洒落な服を選んでくれた。



この施設の売りは、何と言っても海のそばであること。

それ故屋上にはカフェがあり、海を見下ろしながらお茶をすることができる。女子会とカップルでほとんどの席が埋まるその場所での会話が、脳裏を掠めた。



「今日さ……

決めてないけど、夕飯までには、やっぱ帰る?」



アイスカフェオレのグラスに入れられたストローを意味もなく回しながら、雪深が尋ねてくる。

それに合わせるようにして、細かな氷がシャラ、と音を立てた。天気のいい日の海の眺めは最高だ。



「……どっちでもいいけど、どこか行きたいところあるの?

連絡すれば夕飯抜きにしてもらえるから、付き合うわよ?」




ふわふわと表面に立つ白い泡。それに淡紅藤(あわべにふじ)がやわらかく色を射すことで、春らしさを全面に押し出した桜ラテ。

桜味というのは未だにピンと来ないけれど、素直に美味しいと思える。オレンジピールの香るショコララテが飲みたかったのに、つい期間限定につられてしまった。



「いや……うん。

ほんとは、一緒に夜景とか見たいなって思ってたんだけど」



「……見に行く?」



「んーん……

なんか、そういうシチュエーションってあからさまっていうか……逆にすげえ緊張するから、いいや」



ふにゃりと、気の抜けた笑み。それから雪深が、組んだ腕に頭を乗せるようにして、突っ伏した。

数秒前までの、自然と愛でたくなるような表情。



思い出すだけで衝動的に触れたくなって、口をつけたカップをソーサーにカチリと乗せ、伸ばした手がハニーブラウンに触れる──寸前。



「……すきだよ」



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