【完】鵠ノ夜[上]



顔を上げた雪深。

すぐ近くの女子会の声が騒がしくて、それだけで掻き消されそうなほど小さな声だったのに。はっきりと言葉になったその音は、しっかりとわたしの耳に届いた。



「とつぜん何言ってんだって思うかもしんねえけど。

あの夜、お嬢の前で泣いた時にはもう惹かれてたっていうか。ごめん。あたまん中、お嬢のことしか、なくて」



日頃は飄々としている雪深が、いつもと打って変わって拙い伝え方をする。

わたしに上手く伝わるように。表面上の仮面の言葉なんかじゃなくて、自分の本心を僅かにも取りこぼさないように、探りながら。



「お嬢のこと好きだって意識しだして……

俺、情けないほど、好きかもしんないって。朝からふたりっきりで、平然としてるように接してきたけど、ちょっとしたことで揺らされて」



感情の籠った声。

音波のように小刻みな震えを添えながら口にされる言葉は、どうしようもなく尊くて、綺麗で。初恋を語られているような錯覚を起こすほど、温かくてやわらかい。



「出会ってからも、好きになってからもまだ間もないけど。

どうしても、今日言おうって……決めてたから」



「……雪深」




彼の表情が、切なく歪む。



「そんな風に呼ばれるだけで苦しくなんの、お嬢がはじめてだよ」



触れることなくテーブルの上に静かに下ろされていたわたしの手を、彼がつかんだ。

両手で優しく包み込まれて、それだけで痛いほどの、愛情を感じた。雪深がどんな思いで、言葉にしてくれたのか。



「ほかの誰にも取られたくない」



真っ直ぐな瞳で。

言い切ったくせに、さすがに恥ずかしかったのか逸らされる視線。握り込んだわたしの手を彼が顔に寄せたことで頬に触れて。その熱さに、目眩がする。



「……やっぱり、迷惑、だった?

俺、お嬢と護衛って関係もどこまでなら許されるのか、よく分かってないし」



「迷惑だなんて思う訳ないじゃない……」


< 96 / 271 >

この作品をシェア

pagetop