3次元お断りな私の契約結婚
手元の書類に一通り目を通したあと、俺は一人ため息をついた。
『高杉杏奈に関する調査書』だなんて怪しすぎる響き、自分でも引く。あの後杏奈のことが気になった自分はまず彼女のことを調べるところから始めた。
調査書はこうだ。学生時代に遡っても、高杉杏奈が異性交際している情報はまるで入ってこない。異性に興味がないという噂が信憑性を増してくる。
だが、今現在の交際相手について。定期的に会っている女性はいるが、どれも既婚者だったり恋人が他にいたりとかで、それらしき人物は見当たらない。過去も然り。
なるほど、確かに男には興味がないというのは本当らしいが、女に興味があるというのはまだ確定ではない、と。
「まあ、それはいい」
実は隠れて付き合っている男がいた……という最悪の展開は避けられた。俺は調査書のページを改めてめくる。
書かれていた内容の中に、今現在末期癌で入院している祖母がいると書かれていた。大変慕っているらしい。
眉を潜めてページを閉じた。手で顔を覆う。
まず第一に、昔からずっと心残りだった女と再会できたというだけで身辺を調べる自分のストーカー気質に自分でドン引きだ。だが思えば仕事でもいつもこういうやり方だ、用意周到にいかねばならない。
そして次に。余命わずかの祖母がいるという事実は、杏奈をこの契約に誘い込む一番の口説き文句になりそうだと思ったのだ。だがしかし、流石にそれは人間としてどうなのだ。多少のことでは良心が痛まない俺でもこれは迷う。
デスクの引き出しを開けて、ファイルに挟まっている契約書を取り出した。
それは、俺と杏奈で結ぶつもりの『結婚生活における契約書』だ。
男に興味がないのなら正攻法では無理だろう。だったら形だけでもそばに置いておくしかない。丁度両親の結婚しろ攻撃にうんざりしていたところだ。ルームシェア状態でと強く攻めて杏奈と契約を結べばいい。少なくとも他の男が近寄るのを避けられる。
そして、今のところ男に興味のない杏奈だが、そばにいればその気持ちが変わることもあるかもしれないという期待もあった。つまり、彼女が「両刀」である可能性を考えているのだ。意外とそういう人間は多い。
だから何としても杏奈とこの契約結婚を結びたかったのだ。どんな手を使ってでも。
「いいですね。結婚しましょうか」
まさかそんなにすぐ杏奈の口からイエスの返事が出てくるとは夢にも思っておらず、驚きで持っていた書類を床に落としてしまった。
いいと言った? 今、彼女はこの契約に乗ったのか?
確かにメリットばかりを押した契約だった。あれだけ迷っていた彼女の祖母についても結局使わせてもらった。とはいえ、こんなにすぐに返事をしてくる杏奈も杏奈でどうなんだ。敏腕の秘書という噂だが、意外と抜けているのか?
確かに子供の頃は、どちらかといえばのほほんとして抜けている子だった。
自分で仕組んだくせに、ここまでうまくいくと心配になった。杏奈、変な壺とか買わされるタイプか?
それでも必死に平然を装った。喜びと感激で今にも叫び出しそうなのを飲み込む。あくまで目の前の彼女には何ら興味ない藤ヶ谷巧を演じ切った。
杏奈と別れた後、その足でマンションを購入した。元々下調べをしてキープしておいたものだ。もしかしたら彼女の気持ちが変わるかもしれない、だったら断れなくしてやればいい。両親にもすぐに連絡を入れて杏奈の話をした。絶対に逃してなるものかと強く思っていた。
そんな性格の悪いやり方をして、俺は本当に彼女と形だけの夫婦となり、同居することに成功したのだ。
同居初めてすぐ。普段は夜遅くまでかかる仕事を後回しにして新居へ飛び帰った。杏奈には俺の父親が新婚だからと気を利かせて早く帰らされたと嘘をついた。
家に帰ると、今までみてきた彼女とはまるで違う光景があって面食らった。
酒と適当なつまみで「夕飯」と言い張る生活。そんな食生活でよくあの美貌を保っていたなと感心するレベル。
仕事では身だしなみはきちっとして完璧なのに、部屋着はおにぎりのTシャツとショートケーキの靴下という最高のダサさ。
……死んでも誰にも言わないが、そのおにぎりの格好を心の中で可愛いと思った俺の頭は相当おかしい。
だがその方が俺の知っている杏奈だった。子供の頃、手紙を捨てられて泣きじゃくっていた少女。いつも人懐こい笑顔で話して時々マヌケな少女。それこそが、俺の知っている高杉杏奈だったのでほっとしたくらいだった。
この契約は間違いじゃなかった。そう確信する。家に彼女がいるというだけで、こんなにも帰るのが楽しみで仕方なくなる。
ちなみに。平気で風呂場に下着を干すわ、それを俺に見られても恥ずかしそうな素振りはまるで見せないわ、やつが本当に男に興味がないのはよく分かった。
男を意識させるためにあえて上半身は何も着ずにリビングへ行ったのに、気まずそうな顔は一切見せずむしろガン見されて観察されたのも予想外だった。
この俺が絶望で打ちひしがれた。撃沈。好きな女が同じ家にいて下着まで見せられたのに興味ないふりをするのだけは、あまりに拷問だった。