3次元お断りな私の契約結婚
そのもしやだった。新品の包丁やまな板を取り出し野菜を切り始める。しばらくして換気扇の音と、炒める効果音が響き出したかと思えば部屋中に香ばしい香りが充満し出した。
ほんの数十分で、手際良く彼は料理を完成させたらしい。フライパンまで洗って後片付けをすると、彼は大皿に乗った料理を私の前まで運んできたのだ。
コトン、と二皿置かれる。野菜やお肉を炒めた物たちだった。
「え、やだ美味しそう!」
「つまみで夕飯というならそれくらいつまんでおけ」
「私食べていいの?」
「そんな食生活でよくそのスタイル保ってたな。もう少し年取ったらまずいぞ気をつけろ」
呆れたように言った男にややムカついたが、それより目の前の料理の香りにやられていた。私は素直に箸を手に取り頬張ってみる。
「うわお、美味しい。凄い」
「そんなもの誰でも作れるだろう」
すみませんね、『そんなもの』すら作れなくて。そんな返事を心の中だけで行うと、私はただぱくぱくとそれを食べ続ける。
「俺はシャワーを浴びる」
「食べないの?」
「帰ったらすぐに風呂に入りたいタイプなんだ。杏奈はまだか」
「うん、寝る前に」
「わかった」
巧は頷くと、さっさとリビングから出ていって行った。まさか家事をさせられるかもと心配してたのにご飯を作ってもらうことになるとは。まあ、頼んだわけじゃないしいいよね。
そんなことを一人思いながら舌鼓を打つ。意外だなあ、料理するなんて。性格以外完璧じゃん。
いい食感のキャベツを口に入れて噛んだ瞬間、再びリビングの扉が開かれた。あれっと思い出入り口をみる。
巧がどこか気まずそうに視線を泳がせていた。
「どうしたの」
「杏奈。洗濯物」
「あ」
言われて思い出した。今日は朝から大雨で、外に洗濯物が干せなかったので、浴室にある室内乾燥機を使用したのだった。朝干して取り込むのを忘れていた。
私は立ち上がって笑う。
「ごめんごめん、すぐ片付ける」
「いや、いいんだが……
こうなることを予測して、普通下着ぐらいは自分の部屋に部屋干ししないか?」
巧は腕を組んでため息をつきながら言った。ああ、なるほど。やけに気まずそうにしてるなあと思っていたら、干してあった私の下着を見てしまったからか。
私は首をかしげた。
「下着くらいいいじゃない、裸でもあるまいし」
私がいうと、ギョッとしたように彼は目を見開いた。信じられないコイツ、といった顔だ。
「お前……」
「何で見ちゃった方がそんな態度なの、下着の一枚や二枚」
「お前仕事の時と印象違いすぎる。敏腕秘書はどこへいった」
「だから仕事とプライベートは別よ」
私が言い放つと、巧はため息をついて片手で顔を覆った。あれ、どうしてそんな反応? この男なら、私の下着を見たくらいじゃ何も気にしなそうなのに。
「なるほどな、今まで男と関わらなかったからそういう感覚に疎いのか」
「そういうって?」
私が聞き返すと、巧は顔を上げて鋭い目つきで私を見る。つかつかと歩み寄り、私を上から見下ろした。
「危機感を持て。俺も男なんだから」
「そりゃ知ってるけど」
「俺がお前を襲わない保証はないだろ」
「だってすごく好きなシングルマザーがいるんでしょ」
キョトンとした私に対して、さらに彼は呆れたように首を振った。
「あのな。男は、別に好きじゃない女でも抱けるんだよ」
「それは知ってるけど、あなたはそんな頭の悪い雄とは違うでしょう?」
私が言うと、驚いたように目を丸くする。
「藤ヶ谷グループの副社長、好きな女の人もいる。なのにそんな馬鹿げたことをするわけない、夫婦間でもレイプは成立するっていうし、私が世間に声をあげたらおしまいだし」
「…………」
「脅すようなこといっても無駄だよ、私たちはこんな形の結婚をしたことでお互い弱みを握ってるんだから。そんなことくらいわかってるくせに」
「……お前さあ……」
もう何度目かわからない深いため息をつかれた。
がくりと項垂れるその姿が、なんだか力ないように見えた。そんな光景が珍しくてつい人間らしいな、なんて感心する。
「そういうところで冷静に反論するな。普通なら狼狽えるところ」
「ごめん」
それもそうだと思ってつい謝ってしまった。三次元に興味ない私はいつでも目の前の人間を男と意識することができない。確かに少女漫画なら、きっと慌てて干してある下着を隠しにいくイベントだ。
巧は困ったように頭をかき、私に言いにくそうに言った。
「じゃあこういえばいいか。
別に好きでもない女のものでも下着をみればやや欲情するのが男として面倒なので部屋干ししてくれ」
「はーい」
「なんで急に素直になるんだよ」
「女にはわかんない苦悩なんだなって今思ったから。大変だね男も」
「そんな同情のされ方されたの初めてだ」
項垂れて彼は言う。そんな弱々しい姿が、の藤ヶ谷巧だなんて思えなくて私は笑った。意外と可愛いところあるんだな、なんて思う。
笑われたことが癪だったのか、ギロリと睨まれる。おっとと笑顔をとめた。確かに洗濯物を干しっぱなしだった私が悪い。もうこれ以上はやめて素直に従おう。
「では急いで片付けてきます」
「そうしてくれ」
私は慌ててリビングを出て行った。