3次元お断りな私の契約結婚
エレベーターで祖母が入院している階まで登り、病室まで廊下を歩く。個室の部屋だった。最後に尋ねたのは、確か二ヶ月以上前だったか。
忙しくて中々来れないのを歯痒く思っていた。特にここ最近はこの男との契約について時間を取られることが多く間が空いてしまったのだ。
見慣れた扉の前にたちノックをする。中から返事が聞こえた。
「おばあちゃーん、きたよー」
私は扉を引きながら声をかけた。そこそこ広めの個室の奥にあるベッドに、上半身を起こしたままこちらを向いているばあちゃんがいた。半分白髪混じりのグレーの髪は、肩まで伸びて揺れている。
鼻には酸素チューブが繋がっている。それから腕には点滴。以前会った時よりぐっと痩せたその姿に一瞬驚いたが、ばあちゃんはすぐに元気そうな声で笑った。
「杏奈ちゃん! 待ってたのよ〜旦那様を早く見せて!」
第一声がそんな言葉だったので私は笑ってしまった。中に入り、後ろにいた巧も続けて足を踏み入れる。ばあちゃんは私より背後にいた巧を見、そして嬉しそうに笑った。
巧は以前よく見ていた営業スマイルで、祖母の隣に立つ。
「初めまして、藤ヶ谷巧と申します。挨拶が遅くなって申し訳ありません」
爽やかさ満点のその姿を見て、そういえば藤ヶ谷巧ってこんな感じだったよなあと思い出す。最近性格が悪い場面しか見てなかったから忘れていた。
ばあちゃんは満面の笑みで微笑み頭を下げた。
「とんでもない、遠いところわざわざきてくださって……ありがとう。会えて嬉しいわ」
「こちら、お口に合うといいのですが」
「まあまあお気遣いありがとう、二人とも座って」
巧から見舞品を受け取り嬉しそうに言った。私たちは近くにあった椅子を引っ張りベッドサイドに構えて腰掛ける。おばあちゃんはもらった袋を覗き込んで言った。
「私ここの和菓子とっても好きなの」
「そうですか、それはよかったです」
「いやあ、杏奈ちゃん付き合ってる人がいるなんて全然言ったことなかったのに、こんな素敵な人と結婚なんてびっくりよ! 長生きはしてみるものね」
目が線になって無くなってしまうくらいに祖母は微笑んだ。それはそれは、嬉しそうな顔だ。
「ごめんね、えーと、内緒にしてて……巧はちょっと有名な人だし」
「そうなの。いいのよ、結果二人が幸せに結ばれたなら。それにしても想像以上の男前だわあ、杏奈ちゃんいい人見つけたのね」
巧はにっこりと笑う。
「そんなことありませんよ」
嘘だ、と私は思った。きっとこの男の心の中は、「当然だ満点の夫だろ」とドヤ顔しているに違いない。
「どうやって知り合ったの?」
「仕事でお会いして、私が杏奈さんに一目惚れしたんですよ」
「あら!」
「それから食事に誘って」
「あらあらあら!」
両手を口に当てて嬉しそうに笑う祖母を見て、なんだかなんでもよくなってしまった。実は契約結婚だとか、この男は腹黒だとか、そんなこともういいか、って。
おばあちゃんがこんなに楽しそうにしてるの、久々に見たから。
末期の癌なので長くは生きられないと医者から言われていたが、高齢だと進行も遅いらしい。以前よりぐっと顔色は悪いが、それでも笑う元気がまだあるのだから私は嬉しい。
ニコニコして巧と話す様子をただ微笑ましく見ていた。彼もやはり、完璧と呼ばざるを得ない夫を演じてくれている。
「杏奈ちゃんと一緒に暮らしてどう? この子ちょっと雑なところあるでしょ?」
「はは、それは私も同じですから」
「優しいのね〜。いいわね、うちのおじいちゃんも優しい人だったのよ。巧さんにちょっと似ているかも」
「それは光栄です」
「杏奈ちゃんのどこが好きなの?」
まるで少女のようにはしゃぎながら質問するばあちゃんを慌てて止める。契約上の夫婦に、そういった質問はちょっと厳しい。
「もうばあちゃん、恥ずかしいからー……」
「そうですね。とにかく明るくてまっすぐですよ。私にはない陽気さですから、一緒にいてとても楽しいです」
サラリと述べた彼の横顔をつい目を丸くして見る。満点の夫(の演技)、すごいな。私もし同じ質問されたらうまく答えれる自信ないや。
口からでまかせを述べているのだとわかってはいたけれど、なんだかくすぐったい気持ちになった。もし本当に大好きな人と結婚できて、こんな風に言われたらすごく嬉しいんだろうな、って。
あーあ、オーウェン画面から出てきてくれないかな。
アホな事を考えている私をよそに、祖母は嬉しそうに何度も何度も頷いた。
「そうね、杏奈ちゃんは昔から凄く明るくて元気なの。しっかりしてるけど抜けてるとこもあってね。わかってくれてて嬉しいわ」
「抜けてるって、ばあちゃん……」
「そうだ、結婚式はどうするの? 会場探してる?」
前のめりになりながら尋ねる。点滴の管が少し揺れた。私と巧は一瞬顔を見合わせる。
「あのね、私も巧も仕事がすごーく今忙しくてね、落ち着いた頃ゆっくり探そうかって話になってるの」
以前巧のご両親に告げた内容そのままを祖母に言った。結婚式なんてごめんだと思っていたけれど、そういえばおばあちゃんにだけは見せてあげたかったな、とも思う。
でも意外とばあちゃんはがっかりした様子もなく、あっけらんと言った。
「あらそうなの。今時は挙げない若者も多いみたいだしね? でも挙げる予定あるなら楽しみだわ、それまで長生きするよう頑張るわ!」
ガッツボーズを取るように拳を握りしめて言った。その発言を聞いて心が寂しくなる。
ごめん、本当は式なんて挙げる予定はないし、多分少し経ったら離婚しちゃうんだけどな……。
もし離婚するってなったら、おばあちゃん悲しむだろうな。でもそういう契約だったから仕方ないし。
少し感傷的になっている私の隣で、巧が優しく微笑んで言った。
「ええ、ぜひ。杏奈さんと話し合って、じっくり考えていい式にしますから」
「まあ、楽しみね!」
少々無責任に感じる発言を聞いて、私は軽く巧を睨んだ。いや、こう言うしかないんだけどさ、でもあんまり期待させるようなことを言わないでほしい、ショックでおばあちゃんの体調に関わったらどうするのよ。
彼は私の視線に気づかないのか無視をしているのか、涼しい顔でおばあちゃんを見ていた。
「ああ、あとは赤ちゃんね! ひ孫を見なきゃ!」
「ぶっ」
突如かまされたとんでもない発言に、つい私は吹き出してしまう。それでも祖母はいたって大真面目な目で続けた。
「結婚式もいいけど子供もね! できちゃったんなら式なんてどうでもいいのよ!」
「ば、ばあちゃん……」
「どっちに似ても可愛い赤ちゃんが生まれるわねえ、楽しみねえ!」
想像するように頭を揺らして笑う。間違っても私と巧に子供なんてできるわけがないんだけど。
テンションの高い祖母に困って呆れ顔でため息をついたが、隣の巧は何故か楽しそうに笑っていた。その顔はやっぱり、子供みたいな笑顔だった。