3次元お断りな私の契約結婚
自分で言うのもなんだが、これまでの人生男性に言い寄られた経験はそれなりにある。
同じ会社の人はもちろん、今回のように取引先の人に食事を誘われたり。ただ、まさか副社長という地位の方に提案されたことは未だかつてない。しかも藤ヶ谷さんとはたった一度、仕事上少し話しただけなのだ。
これが普通の女なら喜んで万歳するところかもしれない。こんな出来すぎた男からのプロポーズ、すぐに食いつくのが普通の反応だ。
私はすっと姿勢を正す。普段の自分のペースを思い出し、口角を上げながら言った。
「ええと、お付き合いも飛ばして結婚、ですか」
おかしい。何もかもがおかしい。
相手はあの藤ヶ谷巧。私みたいな一般庶民なんかじゃなく、相手はそれこそごまんといるはずだ。しかもほとんど関わったことはないので性格に惚れ込まれた可能性も低い。それに、結婚だなんて。
彼はソファの上で長い足を組んだ。そこには十分なスペースがあるはずだが、あまりに背が高く足の長い彼にはやや狭そうに思えた。
「はい、結婚です。すぐにでも。きっとあなたならイエスと言って貰えるはずです」
キラキラとした自信を振りまいて言う男に、少し苛立ちを覚える。
確かにそこいらの女なら食いつくかもしれない。だが生憎私は違う。
『三次元の男に興味ない』のだ。
私は背筋を伸ばして顎をひく。にっこりと笑って、言い慣れた台詞を飛ばした。
「「私、男性に興味ないんです」」
自分の声に、藤ヶ谷さんの声も重なったと気づく。二重になった声に、一瞬ぽかんとした。
でも彼はやっぱり余裕のある不敵な笑みを浮かべて言う。
「知っていますよ。あなたはいろんな男性に口説かれてもこの文句で断り続けていることを」
「はあ……」
「そして、恋愛対象が男性ではなく女性だということも」
「 ! 」
ちょっと待ってほしい。ストップ、ストップだ。私は心の中で叫ぶ。
私は確かに先程吐いたセリフでいつも男たちの口説き文句を砕いてきた。まあ、正確に言えば『私、(三次元の)男性に興味がないんです』なんだけど。
あまりにそのセリフを使いすぎて、うちの社内で囁かれている噂がこれだ。
『高杉杏奈は恋愛対象が男ではないらしい』
そう言われていることは知っていた。今時同性愛者など珍しいことでもないし悪いことでもない。だから私はその噂をあえて放っておいた。そのほうが変な男が寄ってこないですむ。
でもまさかそんな噂が他の会社の、しかも副社長の耳にまで入っていた? 勘弁してほしい! オーウェンは男性だ!
「あの、藤ヶ谷様、私は」
「だからこそ、私の結婚相手にもってこいだと思いまして」
「……はあ?」
彼は美しい動作で、持っていた鞄からなにやら書類を取り出した。それを机の上に置いて私の方に差し出す。
「契約です」
「けい、やく?」
藤ヶ谷さんは頷いた。長い足を組み替える。
「私には、好きな人がいます」
…………
はあ?
ぽかんとしてその綺麗な顔を見る。
「ですが、相手はシングルマザーで私との再婚はまるで考えていないらしいのです。何度も断られてまして」
「は、はあ」
「それに恐らく、無駄に厳しいうちの両親は彼女との結婚を認めないと思いますし」
「そ、それで?」
「なのに身を固めろとうるさくて敵わないんです。そこで、形だけでも誰かと結婚してしまおうと思いまして」
「とてもぶっとんだ思考回路をお持ちなのですね」
話が凄すぎて、つい嫌味を放り込んでしまった。それでも彼は気にする素振りもなく、笑って続ける。
「考えました。見合いもしたしいろんな女性と食事を重ねました。でもやっぱり私はあの人しか無理なんです」
「…………」
「でも、こんな気持ちを隠して結婚すると相手に申し訳ないでしょう? だから、初めから理解してくれる女性を探していたんです」
ようやく話の展開が見えてきた。私は額に流れる汗もそのままに唖然として目の前の男を見る。
「高杉さんの噂を聞きました。これ以上ない条件です。秘書として敏腕と名高いあなたなら仕事に理解はある、それに恋愛対象が男性でないなら私が他に好きな人がいようと嫉妬もしない」
「…………」
「形だけでも、結婚しませんか。契約内容はそこに書いてあります」
にっこりと笑う男のとんでもない提案に震える。
こんなことを言い出す人間が本当に存在していたとは。まさに、二次元の世界だけの話かと思った。契約結婚て!
お断りです、とでかかった声を一旦飲み込む。相手は大事な仕事先の副社長なのを思い出した。一旦目の前に差し出された書類を手に取る。