3次元お断りな私の契約結婚
荷物を持って会社の正面に降りて行った頃、ちょうど巧の車が停まったところだった。私がそこに乗り込むと、彼はすぐに発進させた。無言のままハンドルを握っていた。
何か言葉を発そうとして、けれどもそんな余裕はなかった。送ってくれてありがとう、とか言いたいことは多くあった。仕事で忙しいというのに。でも残念ながら私にそんな余裕はなかった。私たちはずっと沈黙を流したまま、目的地まで車を走らせた。
病室に駆け込んだ時、初めに目に入ったのはもう意識を失っているばあちゃんだった。
その体の隣には以前来た時にはなかった心電図モニターが置かれていた。そこからゆっくりながら音が漏れていて、ばあちゃんがまだ頑張っていることを物語っていた。
すでに私より早く到着していた両親は、目を赤くして私を招き入れた。
「杏奈、よかった間に合って……! ばあちゃん、杏奈が来たよ」
母が私の腕を引っ張って横たわる祖母の隣に連れて行く。私は呆然と、細くなったばあちゃんの傍に移動した。
「ばあちゃん」
返事はなかった。私はほっそりしたその手を握る。皺がたくさんある、柔らかな手だった。それはまだ温かく、命を感じさせるぬくもりがある。
「ばあちゃん、結婚式まで頑張るって言ったじゃん……」
つい先日、あんなに笑って巧と話してたじゃない。お見舞いのお菓子をみんなで食べたじゃない。結婚式楽しみだって、ひ孫も楽しみだって言ってたじゃない。
「ばあちゃん……杏奈来たよ。頑張っててくれたの?」
一気に自分の目から涙が溢れ出る。子供の頃過ごした思い出が一気に蘇った。
仕事でいない両親の代わりに夕飯を作ってくれたばあちゃん、適当な調味料配分なのになぜか美味しい。ばあちゃんの作るチャーハンは、未だうちのお母さんも再現できない。
いつだって明るくて優しいおばあちゃんだった。祖父が亡くなった時も気丈に振る舞って、そのうち会えるからって微笑んでいた。
友達が多い人だった。習い事だの旅行だの多趣味な人だった。
「ばあちゃん、わかる? おばあちゃん。可愛がってくれてありがとう。いつも笑ってたけど痛かったよね、もう頑張らなくていいよ」
自分の涙が溢れてベッドのシーツにシミを作った。母の鼻を啜る音が響いている。
祖母は返事を返さなかった。ドラマみたいに、最期だけ意識を取り戻して、なんてことはなかった。
それでも、私の言葉が聞こえていたように、彼女の力は尽きられた。規則的に聞こえていた心電図の音が、高く長い継続音と変わる。
ほぼ同時に病室に医師と見られる人がはいってきた。ベテランであろう男性医師は、私が手を握っているのを見て、ああ、と小さく呟く。
「待ってらしたんですね。お孫さんを」
「え……」
彼はそれだけ言うと、ペンライトを取り出して死亡確認を行なった。
ばあちゃんは、とても穏やかな顔だった。