3次元お断りな私の契約結婚


 瞼を閉じて闇の世界にいる最中、枕元にある携帯から音が鳴り響くのに気がついた。

「うう……ん」

 寝ぼけ眼で腕を伸ばし携帯を掴む。朝のアラームかと思っていたが、音がアラームのものではないのに気がついた。

「なに……?」

 ぼんやりとして手元のそれをみると、樹くんからの着信だったので驚く。時計は朝の五時を表していた。

 こんな時間に電話? 昨晩も話したっていうのに?

 疑問符で頭がいっぱいになりながらそれに出る。

「もしもし? 樹くん?」

『……あ、杏奈ちゃんごめんこんな朝に』

「それはいいけど、何? どうかしたの?」

 彼の声はどこか暗いように感じた。一瞬で心に翳りができ不安が渦巻く。

 小声で樹くんが言った。

『……巧の車が、事故を起こして』


 一気に頭が真っ白になる。


 耳に入った言葉を理解するのに時間を要した。

「……え、いまなんて」

『事故、起こして。後ろから玉突きされたみたい。それで今中央病院で……』

「た、巧はどうなの? 大丈夫なの!?」

 縋り付くように電話相手に尋ねた。心臓が冷えたように感じる。

『…………』

「ね、ねえ? 樹くん?」

『早く、来てあげて』

「……は」

『目を覚まさない』



 息をするのも忘れたのかと思った。



 声を出したいのにまるで喉から溢れてこなかった。唇がわずかに震えているだけ。最後にみた巧の悲しそうな顔だけが頭に浮かんだ。

 嘘だ、そんな。

 次の瞬間、近くの机の上に置いてあったハンドバックだけを手に取って部屋から飛び出した。握りしめた携帯からまだ樹くんの声が聞こえている気がしたが、今はそれに出る余裕なんかない。

 エレベーターに飛び乗って一階に降り、まだ薄暗いフロントを通り抜けて外へ出た。

 早朝であるため車通りは少ない。それでもなんという幸運か、ちょうど目の前にタクシーが通るところだった。すぐさま右腕を挙げて停める。

「中央病院まで、急いで走ってください!」

 乗り込んで自動ドアが閉まるより先にそう叫んだ。行き先が行き先なので、運転手さんも事情を察したらしい。無言で素早く車を発進させた。

 タクシーに揺られながらぶるぶると震える手をしっかり抑え、未だ混乱している頭をなんとか冷静にしようと努める。

 落ち着いて、落ち着いて自分。取り乱してはいけない。

 そう言い聞かせても私の頭の中は巧でいっぱいだった。両目から涙が溢れ出、それを拭く余裕すら残されてはいなかった。

 ああ、何で家を出たりしたんだろう。気まずくてもちゃんとあの家にいればよかった。もっと早く病院へ駆けつけられたかもしれないのに。

「巧……」

 返事のない呼びかけが、虚しい。

 彼が好きだとか、彼が誰を好きだとか、そんなことはもうどうでもいいと思った。なんてくだらない、と一蹴したい。そんな問題、大したことではない。

 ついこの前、真っ白な顔をして眠ったおばあちゃんを思い出した。ばあちゃんも急だった、急に私のそばからいなくなってしまった。

 一緒に暮らして、そんなに長い時間を過ごしたわけではないけれど巧との時間は居心地がよかった。私が一番辛い時にそばにいてくれた。自意識過剰で腹黒い男だけど、思えば自分に正直な人だった。

 ああ、そうだよなあ……ぼんやりと思う。

 いつだって完璧なキラキラ王子のオーウェンたちとは違う人間臭さ。口が悪かったり計算高かったりするその人間臭さこそが彼を好きになった理由だと思う。残念なところもいっぱいだけど、律儀だったり優しかったりする面も多くある。

 私となんて書類上の夫婦なのに、一緒にばあちゃんを心配して結婚式まで考慮してくれたり、危篤時には仕事を放り投げて車を走らせてくれて、泣き喚く私をそっと見守っていた。そんな一つ一つの優しさが眩しかった。

「……巧」

 返事をしてほしい。
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