3次元お断りな私の契約結婚
来たる15日、私は呼ばれたレストランに行くために準備をしていた。ある日唐突に自宅に送られてきた高級そうなワンピースを身にまとい、髪もしっかりセットする。はて、住所は教えてないはずなのだが、細かいことは気にしないでおこう。
約束の時間に迎えに行きますと言われたため、自分のアパート前で待機しておく。
藤ヶ谷グループの社長とは仕事上顔を合わせたことはある。ぱっと見気のいいおじさまという感じだったが、奥さんの方は見たことがない。
私は一般庶民だし、果たして結婚を了承されるかどうかすら怪しいと思う。そうなれば契約自体パーで、高級マンションも無駄となる。そのあと私はどうなる? 冷酷と有名な藤ヶ谷巧に何をされるのか。
やや憂鬱なきもちで待っていると、目の前に高級車が停まった。どこにでもある平均的な家賃のアパート前に異質とも呼べる車だ。
颯爽と、中から藤ヶ谷さんが出てきた。仕事中と変わりなく、ピシッとした身だしなみだ。だが今日はスーツではなく、私服姿だった。
そこそこ身長のある私、しかもヒールを履いているのに、それでも藤ヶ谷さんの背は高い。文句の付け所がない顔面は、営業スマイルで私をみた。
「お待たせしました、どうぞ」
挨拶もなく彼はそう言い、助手席のドアを開けてくれる。私は一度お辞儀をして中へ乗り込んだ。
ふわりと優しいコロンの香りがした。座り心地のいい革のシートに身を任せ、シートベルトを着用する。
すぐ運転席に乗り込んだ藤ヶ谷さんは、車を発車させた。エンジン音が響く。
「……ええと、洋服、ありがとうございました」
とりあえず沈黙が気まずかった私はお礼を述べる。
彼はああ、と思い出したように呟きながらハンドルを回した。
「あれくらい。妻になる人に贈るには足りないくらいですよ」
「は、はあ」
「それより私の呼び名は大丈夫ですか、間違えて藤ヶ谷様なんて呼ばないでくださいね」
「はい、巧さん」
私がそう呼ぶと、彼は満足げに頷いた。
「まあ、あなたは敏腕秘書と有名な方ですから。そんなボロは出さないでしょう」
「仕事とプライベートは違いますけど……」
「契約、なのですからこれも仕事と同じですよ。そうだ、そのぎこちない敬語もなんとかしましょう。いいかな、杏奈」
自然と抜けた敬語に、私は頷くしかできない。私も取らなくては敬語。……一番難しいかもしれない、職業上藤ヶ谷副社長にタメ口って。
「それで、杏奈のご両親はなんて?」
ハンドルを握りながら彼は尋ねた。とてもスムーズな会話の入り方だった。どこか私も肩の力が抜ける。
「ええと、喜んでた」
「それはよかった」
「またうちの両親との顔合わせは日程を連絡しま、するから」
つい溢れそうになった敬語に、藤ヶ谷さんはちらりとこっちを見てくる。どきっと心臓が痛くなった。だめだ、失敗は許されない。タメ口、呼び名!!
「ああ、それで頼む」
敬語が取れたことでどこか威圧感を感じるのは気のせいだろうか。恋人というより、上司と部下みたいな。この人の性格なんだろうなあと冷静に分析する。
「で、結婚式のことなんだけど」
「ぶ!」
ついむせかえる。
「け、結婚式!?」
そんな単語が自分の脳から消えていたことに自分で呆れる。相手はあの藤ヶ谷グループの副社長だ、そりゃ結婚式も大々的に行うに決まっていた。
多くの人を呼びドレスを着て誓いのキス?
オーウェン、私無理だよ!
「その顔は嫌だって顔だな」
ふ、と彼が笑った。私はちらりと隣を見る。
「ええと、正直そのことは忘れてて」
「まあ、俺も挙げたくないからここはなんとか挙げない方向で説得しよう」
……あ。俺、だって。初めて聞いた一人称が何故か気になった。
普段営業スマイルで私、なんて呼んでる藤ヶ谷さんも、プライベートでは俺なんだ。へえ、人間らしい。
「なんとかそれで通してほしい。私も見せ物になるなんて嫌」
「同感。お互い他に好きな人がいるわけだし」
「そうね」
私が即答した時、ちょうど赤信号に止まる。藤ヶ谷さんがこちらを振り向いた。
「なんだ、やっぱり今相手がいるんだ?」
「え?」
「男に興味ないっていうのは知ってたけど、今現在の恋愛についてはどうなのか分からなかったから」
「ああ、ええと、うん」
めんどくさいのでそういうことにしておく。ちなみに無論好きな人とはオーウェンのことなのだけど。
藤ヶ谷さんは納得したように何度か頷く。再び前を向くと、青信号に変わったためまた車が動いた。
「パートナーは結婚について理解してるのか」
「ええ(二次元なので)」
「同居についても?」
「ええ(二次元なので)」
「それはよかった。お互い理解のあるパートナー持ちってことか」
何の疑問も持たずに納得した藤ヶ谷さんに、少し呆れる。こんな状況を理解してくれる人なんて普通いないよ。あなたのお相手のシングルマザーが変わりすぎてるだけ。