3次元お断りな私の契約結婚



「……杏奈ちゃん?」

 樹くんの優しい声がして、私は初めて自分の目から涙が出ていることに気がついた。目の前がぼやけて見えない。

 涙は雨のように溢れてきた。頬を伝ってそのままソファに落ちていく。

 樹くんは驚いた顔も見せず、ただ優しい顔で私を見ていた。

「私……よくわかった」

「うん」

「今日樹くんと過ごして楽だし楽しかったの。巧はバカ高い靴すぐに購入したりするし器用そうに見えてアホなんだけど」

「うん」

「樹くんといてもずっと巧を思い出してるの。アホな巧がいい、私ここを出ていきたくないよ……」

 やたら自信家のくせにデート慣れてないとか言って下調べする変な人。普段飄々とした態度なのに照れると顔を赤くさせる変な人。

 不器用なりに、まっすぐ私に思いをぶつけてきてくれた人だった。

 他の人が巧の子供を宿しているだなんて聞けば引き下がるしかないのに、でも私はやっぱりこのままなんて嫌だ。安西さんに私の居場所を取られたくない。

 巧の隣は、私がいい。

 子供みたいにめちゃくちゃに泣きじゃくる私をしばらく見守っていた樹くんだが、少しして私の頭にポンと手を置いた。

「はーようやく本音出たね」

 目の前を涙で滲ませたまま顔を上げる。樹くんが目を細めて笑っていた。

「いや、ほんと巧みたいな変人好きなの俺もどうかと思うよ。でも杏奈ちゃんの本心はそれなんでしょ、なら離婚届もらう前にちゃんと巧に本音をぶつけなよ」

「え……」

「付き合ってるんでしょ。あれ、てか結婚してるんだっけ。とにかく、なんでも話さないのはよくない。巧の出張なんか殴って止めろよ。なんでそんな自分を押し殺してるの」

 強めに頭をぽんぽんとする樹くんは笑いながら言った。そして近くに置いてあったティッシュを手にして私の顔に当てる。

「俺やだよあんな性格悪そうなのが義姉になるの」

「……樹くん」

「どうなるかはわかんないけど、とにかく杏奈ちゃんはもっと怒るべきだし甘えるべき。それだけは確かだね」

 涙を拭いて視界がはっきりしたところで、ようやく彼の意図に気がついた。

 まさか、そのために今日私に付き合ってくれたの? 巧のこと嫌いなのに、樹くんは……。

 私の視線に気が付いたのか、彼は意地悪く笑う。

「あ、俺んとこにおいでってのは本心だから、離婚決まったら本当においで」

「え゛」

「いやー前は押し倒しても眉一つ動かさなかった杏奈ちゃんがちょっと戸惑ってた顔見れたのよかったわ、可愛かった。もうちょっと押せばこっち来る?」

「あの樹くん?」

 いつものノリに戻り、なんだか彼の本心がよく見えない。困っている私を見てまた笑いながら、彼はポケットからスマホを取り出した。そして何やら操作する。

「ほんとさー出張とかゆるしてる場合じゃないって」

「う、うん、帰ってきたらちゃんと話す……」

「帰ってきたらじゃなくて帰って来させるんだよ」

 そう強めの語尾で言った樹くんのスマホから、呼び出し音が聞こえた。そして少し経ち、不機嫌そうな声がする。スピーカーになっているのか、私にもハッキリ聞こえた。

『もしもし樹?』

 巧の声だった。

 樹くんはニヤリと笑う。そしてどこか勝ち誇った顔で言った。

「あれー巧どこで何してんの〜?」

『はあ? 何って、今貴重な休日使って出張で』

「あーごめん興味なかったわ。さーて。俺今どこにいるでしょうー?」

『知るか。用がないなら切るぞ』

 イライラしている巧に心底嬉しそうな顔をした樹くんは、スマホを私に向ける。何か話せ、ということらしい。

 心の準備が出来てなかった私は一瞬戸惑うも、おずおずと声をだした。

「…………巧?」

 その瞬間、電話口から何か落下したようなガタンという音がした。慌てたような巧の声が響く。

『あ、杏奈? お前何してるんだこんな時間に樹と! 俺の連絡も無視して』

 巧の声を聞いて樹くんは嬉しそうに笑った。すぐにスマホを口元に寄せる。

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