すべてが始まる夜に
部長は注文を終えると今度は香ばしく焼かれた銀鱈に箸を伸ばし、身をほぐし始めた。見ている限り落ち込んだ様子もなく、美味しそうにお酒を飲み、旨い旨いと言いながらごはんを食べている。

よかった。
これだけ食欲あって元気そうなら大丈夫そうだよね。

ほっとしながら部長に気づかれないように少し口元を緩ませる。私も食べよう──と思い、中トロのお刺身に山葵をのせていると「ところで白石はこんな土曜日に俺となんかと食事をして、彼氏は大丈夫なのか?」とジョッキに残っていたビールを飲み干しながら松永部長が尋ねてきた。

箸の動きが止まり何も言葉を発せずにいる私の固まった姿を見て、「あ、悪い。これはセクハラ発言だな。ほんと悪い」と顔を歪める。

「い、いえ、大丈夫です……」

さっきまでの明るい雰囲気が一転して、部屋の中に少し気まずい空気が漂う。

そうだよね。
普通こんな土曜日にひとりで夜ごはんを食べようとしていたら、そりゃあ彼氏はどうなのかって気になるよね。

「今日は白石に悪いって言ってばかりだな。別にそんなつもりで聞いたんじゃなかったんだ。ほんとに悪かった。許してくれ」

部長はセクハラ発言ということを気にしてるのか、謝りながら頭を下げた。だけど私はその部長の言葉に別のことを考え始めていた。

恋愛ってどうやったらいいんだろう。
マニュアル本を参考にしても、うまくいかないのはどうして?
部長なら男の人の意見として教えてくれるかな?

「あの、部長、セクハラ発言ついでにひとつ聞いてもいいですか?」

私は松永部長の顔を窺うように見つめる。

「んっ? なんだ?」
「恋愛ってどうやったらいいんですか?」


私の質問に部長は「はっ?」ときょとんとした顔を向けた。

「私、今まで失敗しないようにってマニュアル本通りにきちんと順番を守って付き合ったつもりなんです。でもうまくいかないというか……」

「白石悪い。ちょっと話がよくわからないんだが……」

松永部長はちょい待てと制止するように片手を前に出しながら、眉間に皺を寄せて私の顔をまじまじと見つめた。
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