すべてが始まる夜に
「夜ごはんって、もしかして今作ってくれたのか?」

ダイニングテーブルの上にトレイを置いた部長が、私とトレイを交互に見ながら尋ねた。

「はい。レッスンのせいで夜ごはんが食べれなかったら申し訳なくて……。もっと早く教えてくれたらちゃんと作れたんですけど、30分しか時間がなかったからお鍋になっちゃいました。すみません」

「この間は雑炊だったけど、今日は鍋なのか。開けてもいいか?」

どうぞ、と微笑むと同時に、蓋を開けた部長から「旨そう!」という声が返ってきた。

「茉里、お前は食べたのか?」

不意に茉里と呼ばれ、心臓がドキン──と飛び跳ねる。

「あっ、はい、私は食べました」

「そっか。なあ悪いけど先に食べてもいいか? 旨そうな匂い嗅いでたら腹減ってきた」

「どうぞ、先に食べてください」

「ありがとう。じゃあ有り難くいただくよ。あっ、そうだ。プリンあるぞ。プリン食うか?」

部長が冷蔵庫からプリンを出してソファーに座っている私の前に置いてくれた。

「俺だけ食べるのも申し訳ないしな。ダイエットは明日から頑張るんだったよな?」

意地悪っぽくニヤリと笑う部長に、「それっていつダイエット始めるんだ? っていう意味ですか!」と頬を膨らませると、「あー、旨そっ! いただきまーす」と笑いながら手を合わせて、鍋とおむすびをパクパクと食べ始めた。

私に気を遣ってくれているのか、「旨い旨い」と何度も言いながら食べてくれて、あっという間に鍋もおむすびも全部完食してしまった。

「あー、旨かった。腹いっぱい」

「美味しかったのならよかったです」

「よし、とりあえず着替えるか。そういえば茉里、お前も着替えたのか?」

またもや茉里と呼ばれ、心臓がドキン──と反応する。
確かレッスンの時は下の名前で呼ぶようにって言われたけど、この部屋に入ったらもうレッスンは始まってるってことなのだろうか?

「茉里? 今日会社で着ていた服と違うよな?」

「は、はい……」

今の私は会社で着ていたオフィスカジュアルな服と違い、シャワーを浴びたこともあって黒いVネックのセーターに、ツイードのミニのフレアスカートだ。

会社から帰ってシャワーを浴びたから着替えたなんて、恥ずかしくて言えない。そんなこと言ってしまったら、なんだか準備万端で部長とのレッスンを待っていたと勘違いされてしまいそうだ。
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