すべてが始まる夜に
『わかった。もういいわ』

さっきまでヒートアップしていた彼女の声が少し落ち着いた。彼女が諦めたのかわからないけれど、別れを受け入れたってことなんだろう。

私もそれがいいと思う。
こんな結婚するつもりのない彼とは早く別れた方がいいよ。

これでカップルの喧嘩が終了して、ざわついていたカフェの中にまた平穏が戻る──。
多分、私と同様に周りのお客さんたちも大半がそう思っていたはずだ。

だけど彼女は彼への腹いせなのか、店内に聞こえるようなはっきりとした声で最後にとんでもない言葉を口にした。

『悠樹、最後にひとつだけあなたに忠告してあげる。悠樹のような下手なセックスしかしない男はね、女は誰も満足しないと思うわ。2年付き合ったけど今まで付き合った男の中で一番下手で気持ちよくなかったもの。顔がイケメンだけで自己中で下手なセックスしかしないなんて、これから付き合う女も可哀想ね。少しはセックスの技術でも磨いたら』

ガタン──。

店内に椅子の引かれる大きな音が響く。
その音に反応した私は思わず振り返ってしまった。
周りのお客さんたちも大きな音にびっくりしたのかカップルの方を遠慮がちに見ている。

顔を向けた先にはエレガントなマキシ丈のワンピースを着た髪の長い綺麗な女性が立ち上がっていた。

そしてイケメンだという男性は……。

えっ? 
驚いた私は目を見開いた。
ま、松永(まつなが)部長?

視線の先に見えるのは、私の上司、会社の中で女性ファンの多いあの松永部長だ。
思考が一瞬停止してしまう。

そのとき、こともあろうか松永部長と目が合ってしまった。──ような気がした。
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