すべてが始まる夜に
め、目が合った?
いやいや、合ってないよね。
少し離れてるもん。
目が合ったような気がしただけ……。

人間、こういうタイミングが悪い瞬間ってどうして訪れるんだろう。
すぐに視線を背けてゆっくりと顔を前に戻しながら知らないふりをするけれど、どういうわけか変に身体に力が入りぎこちない動きになってしまう。

たとえ目が合ってたとしても、私とは気づかないはず。会社の部下が偶然同じカフェにいるなんて思うわけないよね。

必死に自分にそう思い込ませながら気持ちを落ち着かせていると『ほんと最低ね。さよなら!』と怒った彼女が最後にそう吐き捨てて周りの視線も気にせずお店を出ていった。

残された松永部長は今どんな顔してるんだろう?
すごく気になるけれど、私は怖くて後ろを振り返ることはできない。だけど視線を動かせる範囲で周りを確認すると、テーブルに座っているお客さんたちが松永部長に哀れな視線を向けたり、吹き出すのを堪えて口元を押さえている。

そりゃあこんなお洒落なカフェで、しかも端正な顔立ちをしたイケメンの男性が『下手なセックスしかしない。女は誰も満足しない。今まで付き合った男の中で一番下手で気持ち良くなかった。顔がイケメンだけで自己中で下手なセックス。少しは技術でも磨け』なんて屈辱的なことを言われていたら、半分腹いせだと分かっていても、哀れな視線向けちゃうよね。周りのお客さんたち絶対松永部長のこと、「ぷぷっ! この人ってイケメンだけどセックスは下手なんだ」って思ってるだろうし……。
これにはかなり松永部長に同情してしまう。

考えると可哀想だけど、今はそれより松永部長がお店を出るまでは私の存在を消しておかないと。
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