あなたの隣を独り占めしたい(続編まで完結)
(SIDE 恭弥)
あの日、病室で母は子供である俺に初めて父に対する本音を語った。
このことは正直、俺には話さずに墓場まで持って行こうと思っていたらしい。
それでも全部を話したのは、体調が崩れてすっかり気持ちが弱っていたというのがあるみたいだった。
「恭弥は見た目はお父さんにそっくりだけど、性格は私に似たわね」
珍しくそんなことを言って、ふっと力無さげに笑う。
「母さんに似てる?」
「ええ。強がっていても、一人では生きていけないって思ってるでしょう。だから、栞さんのような恭弥から離れていかないと確信させてくれる人を選んだ……そうじゃない?」
「……それは、栞が俺を変えてくれたからだよ」
これは本気でそう思っている。
佳苗さんのせいにはしてきたけれど、俺が多くの女性を傷つけてきたことには変わりない。
それは許されるとは思っていないし、一生抱えていく罪だとも思っている。
ただ、俺の罪と栞とは関係がなく、彼女をずっと大事にしていきたいというのは俺の中で新しく生まれた感情だ。
だから唐突に母に似ていると言われても、ピンとこなかった。
「母さんに似たわけじゃない」
「そう」
俺の棘のあるセリフにはあまり興味がないようで、母はそのまま自分の話をした。
「恭弥はお父さんが浮気症だったと思ってるかもしれないけど」
「実際そうだったろ」
「いいえ。お父さんは愛が多い人なの。お父さんを解放してあげられなかったのは、私がとてつもなく寂しがりで……一人では生きられないと思っている人間だからなのよ」
今まで母が父を許し、大きな気持ちで愛しているのだと思っていた。
母が我慢をして、父の自由を好きにさせていたのだと思っていた。
でも母の口から紡がれた真実は、俺の想像とは少し違っていた。
「佳苗さんがお父さんと関係しているのは最初から知っていたわ」
「え?」
「私はそれを止めなかった」
「……どうして」
何かとんでもないことを知ってしまう気がして、一瞬身震いする。
同時に、もうそれなりの年齢になった母なのに、どこか匂い立つような色香が漂った気がした。
「私の方が佳苗さんよりお父さんから愛されている自信があったのよ。説明が難しいけれど、佳苗さんは若いという武器だけでお父さんの興味を引いてた……だから時々、ふっと意識が離れて相手をしない時期もあったみたいね」
「そんな時期も母さんは分かっていて……ただ、見てたってこと?」
「ええ」
躊躇なく頷いた母に、戦慄が走る。
佳苗さんが満足しきらず、俺にも関係を迫るようになった原因が母親だった。
(母さんは俺と佳苗さんのことも知ってたのか? いや……それは聞きたくない)
万が一それを知ってしまったら、俺は栞すら幸せにしてやれない気がしたからだ。
「実際お父さんは私のところへ戻ってきた。今も病室に毎日お見舞いに来てくれてるの」
そう言って、飾ってある花を見て微笑む母が──他人に見えた。
「母さんは……自分が父さんの唯一になるために……佳苗さんを利用したのか」
「結果、そうなるかしらね。お父さんは愛が多い人だから、佳苗さん一人に夢中になってもらった方が良かったのよ」
「……」
絶句とはこんな時の状況を言うんだろう。
俺は、愛を十分に受けて育ったとは思っていなかったが。
まさか両親のこんな歪んだ愛の元に生きていたのだとは……改めて愕然となる。
俺が黙ってしまったのを見て、母は申し訳なさそうな顔をした。
「恭弥に旅館を継いでほしいと思っていたのは本当なのよ。大事な一人息子……お父さんと瓜二つで、しっかり血の繋がったあなたが継いでくれるのが一番の願いだった」
この言葉に嘘はない気がした。
ということは、佳苗さんとのことは母は知らないということになる。
(せめてもの救いか……いや、そんな呑気な話でもないか)
俺は脱力して笑いたくなるのを堪え、一応という感じで旅館のことを尋ねた。
「俺が継がないと言った以上、そこを責めるつもりはない。でも、どうして佳苗さんなんだ」
(どんな事情があったにしろ、あの人に譲る意味がわからない)
「それは──」
母もやや言葉を濁しつつ、俺の目を見ないで言った。
「佳苗さんが……あんまり哀れだったから」
「哀れ?」
「若くて綺麗だった時期を、全部お父さんに捧げてしまったでしょう? だから……」
「自分で意図的にそうしておいて、何様なんだよ!」
思わずそう口にしていた。
佳苗さんのことを庇いたいと思ったわけじゃない。
普通に、人間として、母の考えや思いが異常だと感じただけだった。
(こんな人が自分の親なのか? 俺は……一体何のために生まれてきたんだ)
ふわふわと少女のように父に恋をし続けていた母は、今もまだその気持ちを持ったまま生涯を終えようとしている。
彼女の話が本当だとすると、佳苗さんは被害者だったとも言える。
そして、その佳苗さんに関係を迫られた自分は…………
「……それで、どうしてそんな話を俺にしたの」
墓場まで持っていってくれるなら、その方がよかった。
それらしい嘘で、旅館の話は誤魔化してくれればよかった。
何でも真実を言えばいいってもんじゃない。
でも、今の母はもう旅館を切り盛りしていた頃の精神力はなく、ただただ、何か懺悔したい気持ちでいっぱいだったみたいだ。
息子である俺にそれをするのは、明らかに間違っているというのに。
「恭弥なら、聞いてくれる気がして。あなた、私をいっぱい助けてくれたでしょう。だから……」
(それはあんたが俺を相手しないから、子供ながらに必死だったんだよ!)
叫びたい気持ちを堪え、俺は一言だけ言った。
「あなたも、親父も、最悪だ。悪いけど、もう二度と会いには来れない」
「恭弥?」
「さよなら」
(一生、馬鹿みたいな恋愛劇を繰り広げてればいい)
怒りとも悲しみとも違う、とてつもない虚無感に襲われながら、俺は病室を後にした。
その後、栞が隣にいるというのもちゃんと意識できずに朦朧となっていたことには、彼女が俺を心配してくれるまで気づかなかった。
あの日、病室で母は子供である俺に初めて父に対する本音を語った。
このことは正直、俺には話さずに墓場まで持って行こうと思っていたらしい。
それでも全部を話したのは、体調が崩れてすっかり気持ちが弱っていたというのがあるみたいだった。
「恭弥は見た目はお父さんにそっくりだけど、性格は私に似たわね」
珍しくそんなことを言って、ふっと力無さげに笑う。
「母さんに似てる?」
「ええ。強がっていても、一人では生きていけないって思ってるでしょう。だから、栞さんのような恭弥から離れていかないと確信させてくれる人を選んだ……そうじゃない?」
「……それは、栞が俺を変えてくれたからだよ」
これは本気でそう思っている。
佳苗さんのせいにはしてきたけれど、俺が多くの女性を傷つけてきたことには変わりない。
それは許されるとは思っていないし、一生抱えていく罪だとも思っている。
ただ、俺の罪と栞とは関係がなく、彼女をずっと大事にしていきたいというのは俺の中で新しく生まれた感情だ。
だから唐突に母に似ていると言われても、ピンとこなかった。
「母さんに似たわけじゃない」
「そう」
俺の棘のあるセリフにはあまり興味がないようで、母はそのまま自分の話をした。
「恭弥はお父さんが浮気症だったと思ってるかもしれないけど」
「実際そうだったろ」
「いいえ。お父さんは愛が多い人なの。お父さんを解放してあげられなかったのは、私がとてつもなく寂しがりで……一人では生きられないと思っている人間だからなのよ」
今まで母が父を許し、大きな気持ちで愛しているのだと思っていた。
母が我慢をして、父の自由を好きにさせていたのだと思っていた。
でも母の口から紡がれた真実は、俺の想像とは少し違っていた。
「佳苗さんがお父さんと関係しているのは最初から知っていたわ」
「え?」
「私はそれを止めなかった」
「……どうして」
何かとんでもないことを知ってしまう気がして、一瞬身震いする。
同時に、もうそれなりの年齢になった母なのに、どこか匂い立つような色香が漂った気がした。
「私の方が佳苗さんよりお父さんから愛されている自信があったのよ。説明が難しいけれど、佳苗さんは若いという武器だけでお父さんの興味を引いてた……だから時々、ふっと意識が離れて相手をしない時期もあったみたいね」
「そんな時期も母さんは分かっていて……ただ、見てたってこと?」
「ええ」
躊躇なく頷いた母に、戦慄が走る。
佳苗さんが満足しきらず、俺にも関係を迫るようになった原因が母親だった。
(母さんは俺と佳苗さんのことも知ってたのか? いや……それは聞きたくない)
万が一それを知ってしまったら、俺は栞すら幸せにしてやれない気がしたからだ。
「実際お父さんは私のところへ戻ってきた。今も病室に毎日お見舞いに来てくれてるの」
そう言って、飾ってある花を見て微笑む母が──他人に見えた。
「母さんは……自分が父さんの唯一になるために……佳苗さんを利用したのか」
「結果、そうなるかしらね。お父さんは愛が多い人だから、佳苗さん一人に夢中になってもらった方が良かったのよ」
「……」
絶句とはこんな時の状況を言うんだろう。
俺は、愛を十分に受けて育ったとは思っていなかったが。
まさか両親のこんな歪んだ愛の元に生きていたのだとは……改めて愕然となる。
俺が黙ってしまったのを見て、母は申し訳なさそうな顔をした。
「恭弥に旅館を継いでほしいと思っていたのは本当なのよ。大事な一人息子……お父さんと瓜二つで、しっかり血の繋がったあなたが継いでくれるのが一番の願いだった」
この言葉に嘘はない気がした。
ということは、佳苗さんとのことは母は知らないということになる。
(せめてもの救いか……いや、そんな呑気な話でもないか)
俺は脱力して笑いたくなるのを堪え、一応という感じで旅館のことを尋ねた。
「俺が継がないと言った以上、そこを責めるつもりはない。でも、どうして佳苗さんなんだ」
(どんな事情があったにしろ、あの人に譲る意味がわからない)
「それは──」
母もやや言葉を濁しつつ、俺の目を見ないで言った。
「佳苗さんが……あんまり哀れだったから」
「哀れ?」
「若くて綺麗だった時期を、全部お父さんに捧げてしまったでしょう? だから……」
「自分で意図的にそうしておいて、何様なんだよ!」
思わずそう口にしていた。
佳苗さんのことを庇いたいと思ったわけじゃない。
普通に、人間として、母の考えや思いが異常だと感じただけだった。
(こんな人が自分の親なのか? 俺は……一体何のために生まれてきたんだ)
ふわふわと少女のように父に恋をし続けていた母は、今もまだその気持ちを持ったまま生涯を終えようとしている。
彼女の話が本当だとすると、佳苗さんは被害者だったとも言える。
そして、その佳苗さんに関係を迫られた自分は…………
「……それで、どうしてそんな話を俺にしたの」
墓場まで持っていってくれるなら、その方がよかった。
それらしい嘘で、旅館の話は誤魔化してくれればよかった。
何でも真実を言えばいいってもんじゃない。
でも、今の母はもう旅館を切り盛りしていた頃の精神力はなく、ただただ、何か懺悔したい気持ちでいっぱいだったみたいだ。
息子である俺にそれをするのは、明らかに間違っているというのに。
「恭弥なら、聞いてくれる気がして。あなた、私をいっぱい助けてくれたでしょう。だから……」
(それはあんたが俺を相手しないから、子供ながらに必死だったんだよ!)
叫びたい気持ちを堪え、俺は一言だけ言った。
「あなたも、親父も、最悪だ。悪いけど、もう二度と会いには来れない」
「恭弥?」
「さよなら」
(一生、馬鹿みたいな恋愛劇を繰り広げてればいい)
怒りとも悲しみとも違う、とてつもない虚無感に襲われながら、俺は病室を後にした。
その後、栞が隣にいるというのもちゃんと意識できずに朦朧となっていたことには、彼女が俺を心配してくれるまで気づかなかった。