極上御曹司は懐妊秘書を娶りたい
「そ、そんな……恐れ多いです。せめて『城阪さん』では駄目ですか?」
「駄目だ」
 悪戯っぽく囁いた彼の唇が、にんまりと深いカーブを描く。私はその画になりすぎる光景をぽかんと眺めながら、『やっぱり今日の城阪社長はおかしい』という確信を強めていた。
 社長と秘書の距離感で接していたときの彼は、常に上司としての立場を崩さなかったし、あのパーティーの夜以外、隙らしい隙を見せることもなかった。恵美子さんに言わせれば私には甘いらしいのだけれど、それでも彼に親しみやすさを覚えたことはない。
 それなのに、どうして今更、――――彼を諦めようとした途端に、こんなふうに距離が縮まってしまうのだろう。
「ほら、呼んで」
「……か、」
「か?」
「かげみつ……さん」
 世界で一番大切なものを呼ぶように、そっと彼の名前を紡ぐ。きっと一生呼ぶことはないであろうと思っていた名前だ。たったの四文字なのに、口にした瞬間に照れと幸福感が身体の芯を熱く震わせ、心臓の辺りをざわめかせるのが分かった。
 好きな人の名前を呼んで照れるなんて、今時は高校生の子ですらやらないだろう。初恋の魔力は恐ろしく、私の頬をあっという間に朱に染め上げた。
 彼は、――――景光さんは、そんな私をまるで『いいもの』でも見るかのように眺めると、私が彼の名前を呼んだときと同じように、丁寧に言葉を吐き出した。
「いいな。君に……紗世に、そう呼ばれるのは」
 紗世、――――当たり前のように口にされた、私の名前。麻田と呼ばれるだけでどうにかなりそうだったのに、下の名前で呼ばれてしまえば、いつ心臓が破裂するか分かったものではない。
 とりあえず、胸がいっぱいでグラタンをこれ以上食べられそうにないのは確かだった。
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