極上御曹司は懐妊秘書を娶りたい
 未だに平らなままのお腹へと、自然と手が回る。あの夜から数えて、五週間と少し。検査薬の結果は飽きるほどに見たし、産婦人科にも行って先生から話も聞いている。それでも私は未だに、ちゃんと『妊娠している』という事実を身体で感じたことがなかった。
 それでも、こうして目の当たりにしてしまえば実感せざるを得ない。私はまるで身体が作り替わってしまったかのような感覚を覚えながら、のろのろと顔を上げてIHのスイッチを切った。
 シンクで吐くことはできない。景光さんの家で、と思うと申し訳ないけれど、せめてトイレにいかないと。
 気力を振り絞って立ち上がり、何度も唾を飲み込みながらトイレへと向かう。しかし一歩進むごとに胃の中身が掻き回されているような感じがして、気持ち悪くて、ついには廊下に出たところで立ち往生してしまった。壁に寄り掛かり、再びずるずるとしゃがみ込む。肩で息をしながら、途方もない不快感が引いていくのを待っていると、――――不意に、鍵の回る音がして。
「ただい、ま……、ッ紗世!!」
 ぐわんと頭が揺れるほどの大きな声音が、私の名前を叫んだ。
 いつもよりずっと荒々しい足音と、鞄が床に落ちる音。駆け寄ってきてくれたらしい景光さんが、私の傍に膝をついてしゃがみ込む気配がした。
「っ紗世、大丈夫か。紗世」
 冷え切った背中に、温かい手のひらが乗せられる。焦燥の滲んだ声とは裏腹に、その手つきはどこまでも優しく、私を不必要に揺さぶったりはしなかった。ただ心配するように、確かめるように触れられて、私の眦からぽろりと涙が落ちる。
 どうして、この人はこんなにも私を大切に扱おうとしてくれるのだろう。
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