極上御曹司は懐妊秘書を娶りたい
 彼の磨き上げられた革靴が滑るように動き出したのを見届けてから、私もその背を追って歩き出す。革靴から視線を上へと持ち上げていけば、私ではとても手が届かないような仕立ての良いスーツが目に映り、さらに甘い色合いの髪や、神様が特別にあつらえたように整った横顔が視界に入ってきた。その際に、彼の首元を飾るネクタイが微かに歪んでいることに気付いて、私は慌てて声をかける。
「……城阪社長、ネクタイが、」
「ネクタイ? ああ……」
 城阪社長、――――城阪景光という名の美丈夫は、城阪財閥の次男であり、城阪グループ傘下の子会社で社長秘書をしている私にとって直属の上司にあたる人だ。
 ミルクティーのような色の髪と甘さを含んだ目元、目鼻立ちのはっきりとした端正なかんばせ。そしてそこに息づく泣きぼくろの配置まで、彼は何もかもが完璧だった。その完璧さは外見だけではなく、能力や内面にも及ぶ。社長という座を与えられたこと自体は家の意向だと聞いたけれど、その待遇に甘んじることなく自分の力で業績を上げ、事業を拡大しているところも尊敬に値するポイントの一つだ。
 『その代わり』と言うべきか『それだから』と言うべきか、城阪社長は仕事に関しては特に厳しい。声を荒げないまま淡々と痛いところを追求してくるだとか、曖昧な報告や手抜きを一発で見抜いてくるだとか、競争相手には容赦がないとか、――――そんな話が社員の間で浸透しているようだった。ようだ、と曖昧な言い回しになるのは、私は彼の『鬼社長』らしきシーンにあまり立ち合ったことがないからで。
 ――――社長って、紗世ちゃんには甘いわよね。
 ふと昨日聞いたばかりの揶揄うような声音が脳裏に蘇って、私は思わずふるりと頭を振った。こちらを振り返った城阪社長が、うっすらと目の端を緩める。そうすると甘さのある目元がさらに蕩けるから、きゅう、と胸が締め付けられてしまって。
「社長?」
「いや、自分ではどこが歪んでいるかよく分からなくてな。悪いが、頼めるか?」
 ほんの少し、悪戯めいた響きを孕む声音。きっと『よく分からない』なんて嘘で、戯れの一環なのだろう。『鬼社長』だなんて呼ばれることだってあるくせに、こういうことをしちゃところがずるいのだ、――――胸の内側が疼くような感覚に、私の反応は一拍遅れた。
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