若き社長は婚約者の姉を溺愛する
 戸惑って、混乱して、慌ててばかりだった自分を思い出し、笑ってしまった。
 食事が運ばれてきて、私たちは黙って静かに食事をする。
 私たちを繋げたのは、この小川のせせらぎが聞こえてくるようなほどの静寂だ。

「美桜」

 その声は自然で、空間に溶けた。

「はい」

 外の風景を映すテーブルの上に、一枚のカードキーが置かれた。 

「プレゼントの代わりになるか、わからないが、これは俺の部屋の鍵だ」
「部屋の鍵……」
「一緒に暮らそう」

 考えたことがなかったと言えば、嘘になる。
 ずっと沖重の家から逃げたくて、誰かにすがりたくて、でも、それをすれば、迷惑がかかる。
 だから、こうなったら、おしまい――そんなふうに考えていたのに、おしまいは私の中でこなかった。
 差し出されたカードキーを受け取りたくて仕方なくて。
 でも、手を伸ばせず、それを見つめただけ。

「私が家を出たら、あの人たちはきっと宮ノ入に嫌がらせをします」
「そうだろうな」
「だから、行けません。今までもずっとそうでした。私の親しい人たちは嫌がらせを受けてきて、結局離れていきました。だからっ……」
< 106 / 205 >

この作品をシェア

pagetop