若き社長は婚約者の姉を溺愛する
 八木沢さんはにっこり微笑み、まるで会社の契約をするかのような口ぶりで、私に言った。

「そういうわけで、改めてお話を……」
「お断りします。宮ノ入社長だとわかっていたら、近づきませんでした。私はただ平穏に暮らしたいだけなんです」

 昨日の梨沙や継母の喜びようを見たら、この先待っているのは、嫌がらせどころの話ではない。
 ありとあらゆる方法で、継母は私の幸せを阻むだろう。
 その時、傷つくのは私だけではなく、周囲の人間なのだ。

「宮ノ入社長なら、もっと素敵な人がいると思います。私に恋愛をする余裕はありません。毎日の生活だけで、手一杯なんです」

 調査したと言っていたから、私の境遇がわかるはずだ。
 
「宮ノ入の人間から、結婚を申し込まれて断るとは、興味深い人ですね。それに、初めて瑞生様が女性に拒まれるのを見ました」

 八木沢さんは優しげな表情を浮かべているのに、その目は鋭く冷酷だ。
 この人の本性は、きっと別にある。 
 八木沢さんが怖くて、つい社長のほうへ逃げてしまった。

「拒否から始まるとは、新しいパターンだな」
「始まりませんからっ!」

 自分のほうへ逃げてきた私を見て、嬉しそうに笑う。

「と、とにかく、私は社長と結婚できません! それでは、失礼します!」

 早口で言って、八木沢さんの横をすり抜け、エレベーターまで走った。
 追いかけてきても間に合わないくらいのスピードでボタンを押す。
 エレベーターの扉が閉まり、息を吐き出した。

「結婚なんて……私はできない……」

 誰もいないエレベーターの中で、私は一人呟いた。
 少なくとも、継母が私を憎んでいる限り、普通の幸せを手に入れることはできない。
 友人どころか、親しく話せる人まで、奪われてきた私は、この結婚話が新たな事件の火種になるとしか、思えなかったのだった。
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