若き社長は婚約者の姉を溺愛する
 私は必死だった。
 居心地が良すぎて、忘れそうになるけれど、私はそこにいてはいけないのだ。
 近づきすぎてから、彼を失った時、今度は泣くだけじゃ済まない気がして怖かった。
 お弁当袋と水筒を手にすると、同じ香りがする空間から逃げ出した。

 ――きっと、社長はわけがわからないって思ってる。私が拒否する意味を理解してもらえない。それくらい私たちは、なにもかも違い過ぎている。

 受け取ってしまった社長からのプレゼント。
 それを会社のロッカーか机に、鍵をかけてしまっておこうと決めた。
 自分の気持ちに鍵をかけるみたいにして。

「あれ? 沖重先輩、それ、シャネルのチャンスオータンドゥルじゃないですか?」

 隣の席の木村さんが、私の手に持っていた香水に気づき、話しかけてきた。

「その香り、甘くていい香りがしますよね。誰かからのプレゼントですか?」
「ええ、まあ……」
「素敵なプレゼントですよね。その香水、自分のチャンスを掴んで逃さないって意味があるんですよ」 
「自分のチャンスを掴んで逃がさない……」

 彼は言葉の意味を分かっていて、この香水を選んだに違いない。
 沖重から逃げ出すチャンスーー彼しか、きっと私を連れ出せないとわかっていた。
 でも、きっと無傷では済まない。
 私だけでなく、彼も傷つく。
 だから、あの人のためにも、もう近寄ってはいけない。
 これ以上、好きになってしまう前に、気持ちに鍵をかけた。
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