若き社長は婚約者の姉を溺愛する
あなたに休息を
 私が高級ホテルでランチをする機会は今までなかった。
 誕生日も人生の節目にも、家族からお祝いされたことがなかった私にとって、特別な場所での食事は、これが初めて。
 それだけでも緊張するのに、八木沢さんは徹底的に、服装から髪、メイクを特別仕様に変えた。
 ホテルの一室にプロと思われる人たちを呼び、髪をセットし、ハイブランドのスーツに着替えさえ、メイクまで、すべて完璧に整えさせた。
 余計なことを言わないように、黙って八木沢さんに従っていたけれど、向こうはなにもなかったかのように振る舞っていた。
 あれは、私の夢だったのかもしれないと思えるくらい普通の態度。その態度に戸惑ってしまう。

「使っていた服は、ホテル側に預けてあります。帰りに受け取ってください」

 番号が書かれた札を渡された。

「そろそろ瑞生様がこられるので、失礼します」
 
 私をホテルのレストラン前まで連れていくと、業務的な口調で告げた。
 
「あの、八木沢さん……。私の眼鏡は返してくれないんですか?」
「眼鏡は返しませんよ。戒めとして今日のことを忘れないように。逃げ道があると、逃げたくなる。逃げ場がないとわかったら、後は腹をくくるしかないんです」

 八木沢さんは、自分にそう言い聞かせて生きてきたのだろうか。
 どこか遠くを見るような目をしていた。
 
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