桔梗の花咲く庭
第2話
「とても美しいお衣装が、似合うお方だったのですね」
「袖を通してみますか? 私には着られぬものなので」
首を横に振る。
「私のような者には似合いません」
「あぁ、そうかもしれませんね」
晋太郎さんはぬるい茶をすすった。
「その人には、その人に似合う柄というものがあります。あなたには、今着ているその藤黄の七宝は、よくお似合いですよ」
そんなことを言われても、うれしくはない。
衣桁の着物には、紅藤色に可憐な蝶が舞う。
「かわいすぎるのは……苦手です」
晋太郎さんはくすっと笑って、着物を見上げた。
「そうですか? あなたはとてもお可愛らしい方なのに」
遠くで蝉の声が聞こえる。
屋根のひさしの奥の、影になっているこの部屋から見上げる空は、どこまでも高く澄みわたっていた。
「……芯の、強いお方でした」
「きっと私なんかより、ずっと素敵な方だったのでしょうね」
「そんなことはありませんよ。あなたも十分素敵です」
真顔でそんなことを言うこの人に、つい笑ってしまう。
私とはまるで正反対とは、言えなかった。
「本当ですよ」
「よいのです、そんな無理をなさらなくても。私は……、ただ嫁に来ただけの者ですから」
迎え火が焚かれる。
この煙にのってあの人が現世に戻ってくるなら、その間だけでも、私はこの家から出て行こうか。
「やっぱり、家に戻ろうかな……」
隣に座る晋太郎さんは、私をのぞきこんだ。
「岡田の家に戻られますか?」
「えぇ、いつ戻って来るか分かりませんけど、それでもよろしいですか?」
冗談のつもりでそう言ったのに、その人はしばらく私の顔を眺めた後で、すっと前を向いた。
「あなたのお好きなようになさい」
夏の一日は長い。
昼餉に簡単な食事を済ませ、毎日の日課である家の掃除をする。
残った水は、打ち水代わりに庭にまいた。
ふいにめまいに襲われる。
「す、すみません。なんだかちょっと、急に気分が……」
吐き気を覚え、口元を押さえた。
ウッと一度嘔吐いただけで、気分はすっとよくなる。
「まぁ志乃さん!」
義母の声に振り返った。
「ちょ、あなた大丈夫なの?」
「えっ?」
「気分は?」
そう改めて聞かれると、胸焼けがしないでもない。
「う~ん、たいしたことはないのですが……」
「吐き気は?」
「まだ少し」
お義母さまの顔は、未だかつてないほどパッと大きく広がった。
「ちょっと! 出来たのよ、赤ちゃん! 誰か、誰か早くお布団を敷いてちょうだい!」
大騒ぎになった。
義母は私にそこから動かぬよう命じると、奉公人たちを呼び寄せる。
部屋に布団を敷かせ、枕元には水の入ったたらいを置き、手ぬぐいを何枚も用意させた。
横になるよう命じると、義母は奉公人の一人に、私をうちわで煽ぎ続けるよう申しつける。
「袖を通してみますか? 私には着られぬものなので」
首を横に振る。
「私のような者には似合いません」
「あぁ、そうかもしれませんね」
晋太郎さんはぬるい茶をすすった。
「その人には、その人に似合う柄というものがあります。あなたには、今着ているその藤黄の七宝は、よくお似合いですよ」
そんなことを言われても、うれしくはない。
衣桁の着物には、紅藤色に可憐な蝶が舞う。
「かわいすぎるのは……苦手です」
晋太郎さんはくすっと笑って、着物を見上げた。
「そうですか? あなたはとてもお可愛らしい方なのに」
遠くで蝉の声が聞こえる。
屋根のひさしの奥の、影になっているこの部屋から見上げる空は、どこまでも高く澄みわたっていた。
「……芯の、強いお方でした」
「きっと私なんかより、ずっと素敵な方だったのでしょうね」
「そんなことはありませんよ。あなたも十分素敵です」
真顔でそんなことを言うこの人に、つい笑ってしまう。
私とはまるで正反対とは、言えなかった。
「本当ですよ」
「よいのです、そんな無理をなさらなくても。私は……、ただ嫁に来ただけの者ですから」
迎え火が焚かれる。
この煙にのってあの人が現世に戻ってくるなら、その間だけでも、私はこの家から出て行こうか。
「やっぱり、家に戻ろうかな……」
隣に座る晋太郎さんは、私をのぞきこんだ。
「岡田の家に戻られますか?」
「えぇ、いつ戻って来るか分かりませんけど、それでもよろしいですか?」
冗談のつもりでそう言ったのに、その人はしばらく私の顔を眺めた後で、すっと前を向いた。
「あなたのお好きなようになさい」
夏の一日は長い。
昼餉に簡単な食事を済ませ、毎日の日課である家の掃除をする。
残った水は、打ち水代わりに庭にまいた。
ふいにめまいに襲われる。
「す、すみません。なんだかちょっと、急に気分が……」
吐き気を覚え、口元を押さえた。
ウッと一度嘔吐いただけで、気分はすっとよくなる。
「まぁ志乃さん!」
義母の声に振り返った。
「ちょ、あなた大丈夫なの?」
「えっ?」
「気分は?」
そう改めて聞かれると、胸焼けがしないでもない。
「う~ん、たいしたことはないのですが……」
「吐き気は?」
「まだ少し」
お義母さまの顔は、未だかつてないほどパッと大きく広がった。
「ちょっと! 出来たのよ、赤ちゃん! 誰か、誰か早くお布団を敷いてちょうだい!」
大騒ぎになった。
義母は私にそこから動かぬよう命じると、奉公人たちを呼び寄せる。
部屋に布団を敷かせ、枕元には水の入ったたらいを置き、手ぬぐいを何枚も用意させた。
横になるよう命じると、義母は奉公人の一人に、私をうちわで煽ぎ続けるよう申しつける。