桔梗の花咲く庭
第12章
第1話
盆明けの送り火を焚いた頃には、真昼の太陽もようやく傾き始めていた。
いつの間にかうとうとと眠っていて、目を覚ますと日はすっかり暮れている。
慌てて土間に駆け込むと、食事の用意はあらかた終わっていた。
「すみません、遅くなりました!」
「いいわよ別に。そんな時だってあるわよ」
義母は出来上がった膳を手渡す。
「皆を呼んできてちょうだい」
奥の部屋をのぞき込んだ。晋太郎さんは書物を片手に広げ、碁盤の前でなにやら考え込んでいる。
「夕餉の支度ができました」
返事がない。
聞こえてはいるのだろうから、静かにそこを後にする。
お義父さまとお祖母さまにも声をかけてから、食事をする部屋に戻った。
晋太郎さんは少し遅れてやってくる。
「支度が出来ていたのなら、声をかけてくださればよかったのに」
ご飯を盛った茶碗を渡すと、その人は言った。
「言いに行きました」
「聞いていませんよ」
「囲碁の本を読んでいらっしゃいました」
ムッとしたような顔でにらまれても、言ったのは事実なんだから平気。
私は味噌汁をすする。
「今度からはちゃんと、返事をするまでお願いします」
「分かりました」
そんなの、聞いてないのが悪いんじゃない。
食欲は止まらない。
一番に食べ終わると、さっさと席を立った。
「ごちそうさまでした」
夜になって、寝支度を調える。
いつものように離して敷いた布団の間に、衝立を立てた。
しばらくしてからやってきたその人は、眉をしかめる。
「一体、この衝立はいつまで立てておくものなのでしょうね」
「え? これは初めに、晋太郎さんが立てたものではなかったのですか?」
ふいにこの人は間に立てた衝立のギリギリにまで、自分の布団を寄せた。
「なにをしているのです?」
「別に。あなたの領域は侵していませんよ」
そこへごろりと横になる。
大きな一枚板の衝立だ。
襖絵をはめ込んだ木の枠に足が付いていて、絵の下には唐草模様の透かし彫りが入っている。
床からは五寸ほど浮いていた。
「こうすれば、お顔は見られますね」
「……。そうですね」
居心地の悪さに背を向ける。
これでは衝立を立てる意味がない。
見られながら寝るなんて、そんなのは絶対に無理だ。
ごそごそという衣ずれが、背中の向こうで聞こえる。
「……この家には、もう慣れたようですが、いかがですか?」
背を向けたままそれに答える。
「はい。慣れました」
「私には?」
振り返った。
晋太郎さんはまだこちらに背を向けていた。
「……。それなりに……」
「それはよかった。ずっと、嫌われているのだろうと思っていました」
その人は衝立の向こう側で、背を向けたまま話し出す。
「嫁入りの相手を自分で選べない以上、あなたには出来るだけ、不快な思いはさせまいと思っておりました。私が相手を選べないように、あなたも誰かを選ぶことができないからです」
秋口の夜はじっとりと暑くて、締めきったままの部屋には熱が籠もる。
「婚儀の席をめちゃくちゃにしたことも、まだ謝れていません。ですがあなたに、許してもらおうと思うてはいない自分も、一方でいるのです」
私は寝巻きの袖を、ぎゅっと握りしめる。
あの日のことは、ここではなかったことになっている。
いつの間にかうとうとと眠っていて、目を覚ますと日はすっかり暮れている。
慌てて土間に駆け込むと、食事の用意はあらかた終わっていた。
「すみません、遅くなりました!」
「いいわよ別に。そんな時だってあるわよ」
義母は出来上がった膳を手渡す。
「皆を呼んできてちょうだい」
奥の部屋をのぞき込んだ。晋太郎さんは書物を片手に広げ、碁盤の前でなにやら考え込んでいる。
「夕餉の支度ができました」
返事がない。
聞こえてはいるのだろうから、静かにそこを後にする。
お義父さまとお祖母さまにも声をかけてから、食事をする部屋に戻った。
晋太郎さんは少し遅れてやってくる。
「支度が出来ていたのなら、声をかけてくださればよかったのに」
ご飯を盛った茶碗を渡すと、その人は言った。
「言いに行きました」
「聞いていませんよ」
「囲碁の本を読んでいらっしゃいました」
ムッとしたような顔でにらまれても、言ったのは事実なんだから平気。
私は味噌汁をすする。
「今度からはちゃんと、返事をするまでお願いします」
「分かりました」
そんなの、聞いてないのが悪いんじゃない。
食欲は止まらない。
一番に食べ終わると、さっさと席を立った。
「ごちそうさまでした」
夜になって、寝支度を調える。
いつものように離して敷いた布団の間に、衝立を立てた。
しばらくしてからやってきたその人は、眉をしかめる。
「一体、この衝立はいつまで立てておくものなのでしょうね」
「え? これは初めに、晋太郎さんが立てたものではなかったのですか?」
ふいにこの人は間に立てた衝立のギリギリにまで、自分の布団を寄せた。
「なにをしているのです?」
「別に。あなたの領域は侵していませんよ」
そこへごろりと横になる。
大きな一枚板の衝立だ。
襖絵をはめ込んだ木の枠に足が付いていて、絵の下には唐草模様の透かし彫りが入っている。
床からは五寸ほど浮いていた。
「こうすれば、お顔は見られますね」
「……。そうですね」
居心地の悪さに背を向ける。
これでは衝立を立てる意味がない。
見られながら寝るなんて、そんなのは絶対に無理だ。
ごそごそという衣ずれが、背中の向こうで聞こえる。
「……この家には、もう慣れたようですが、いかがですか?」
背を向けたままそれに答える。
「はい。慣れました」
「私には?」
振り返った。
晋太郎さんはまだこちらに背を向けていた。
「……。それなりに……」
「それはよかった。ずっと、嫌われているのだろうと思っていました」
その人は衝立の向こう側で、背を向けたまま話し出す。
「嫁入りの相手を自分で選べない以上、あなたには出来るだけ、不快な思いはさせまいと思っておりました。私が相手を選べないように、あなたも誰かを選ぶことができないからです」
秋口の夜はじっとりと暑くて、締めきったままの部屋には熱が籠もる。
「婚儀の席をめちゃくちゃにしたことも、まだ謝れていません。ですがあなたに、許してもらおうと思うてはいない自分も、一方でいるのです」
私は寝巻きの袖を、ぎゅっと握りしめる。
あの日のことは、ここではなかったことになっている。