桔梗の花咲く庭
第15章
第1話
明け方になって目を覚ますと、すっかり気分はよくなっていた。
全身が汗でベタベタになっていることに気づく。
隣の晋太郎さんも目を覚ました。
指先が額に触れる。
「お加減はどうですか? あぁ、すっかりよくなったようですね」
いつもすっきりと身なりを整え、何一つ乱れたところのないこの人が、ぼろぼろになった髷で着崩れた格好をしている。
頬には枕のあと。
大きなあくびをする。
「今日は勤めがございますので、こればかりは行かねばなりません。熱も下がったようで、安心いたしました」
疲れたような顔で、そっと微笑む。
「あとは母に任せてもよろしいか?」
こくりとうなずいた。
その人は枕元に置きっぱなしのたらいの水で顔を洗うと、そこにあった手ぬぐいで拭く。
「では、行って参ります。今日は早めに帰るようにいたします」
この人の優しさを、素直に受け取れたらと思う。
だけどこれは、珠代さまの身代わりで、この人が見ているのは、私ではなくて……。
あの人が好きなのは、私じゃない。
そう言い聞かせておかなければ、気がおかしくなりそう。
昼前には着替えを済ませ、そのまま横になっていた。
食欲も戻ってきている。
じきに体はよくなるだろう。
外の空気が吸いたくなって、襖を開けた。
新鮮な風が一気に流れ込む。
すっかり体調は戻った。
晋太郎さんは変わらず日中を奥の部屋で過ごし、夜には衝立の向こうで眠った。
秋が深まる。
実りの季節に、桔梗は種をつけた。
「夕餉の支度ができました」
最近の会話といえば、これくらいしかないような気がする。
言いたいことも、他の用事も、奉公人や他の人を介して何もかも出来てしまう。
「ありがとう。いま行きます」
晋太郎さんは、盆に桔梗の種を集めていた。
すっかり荒れ野のようになった庭に、枯れた桔梗が立ち並ぶ。
そのとがった種サヤを指ですりつぶすと、小さな種が出てきた。
「これをまた、春になると蒔くのです」
嫌なことを思い出した。
私は去年、その芽を摘んで叱られたのだ。
「そうしたらまた、来年の夏には美しい花が咲くのです」
静かに微笑む横顔に、ふと顔を背ける。
この気持ちに説明のつかないうちは、きっと誰にも理解はされない。
自分でさえも、それが何であるのか分からないのだ。
私は無言のまま立ち上がり、その場をあとにした。
夜になり布団へ潜っても、その日は枯れた庭と桔梗の種のことばかりを思い浮かべて、いつも以上によけいなことを考えて考えて眠れずにいた。
晋太郎さんが来る頃になっても、まだ寝付けずにいる。
全身が汗でベタベタになっていることに気づく。
隣の晋太郎さんも目を覚ました。
指先が額に触れる。
「お加減はどうですか? あぁ、すっかりよくなったようですね」
いつもすっきりと身なりを整え、何一つ乱れたところのないこの人が、ぼろぼろになった髷で着崩れた格好をしている。
頬には枕のあと。
大きなあくびをする。
「今日は勤めがございますので、こればかりは行かねばなりません。熱も下がったようで、安心いたしました」
疲れたような顔で、そっと微笑む。
「あとは母に任せてもよろしいか?」
こくりとうなずいた。
その人は枕元に置きっぱなしのたらいの水で顔を洗うと、そこにあった手ぬぐいで拭く。
「では、行って参ります。今日は早めに帰るようにいたします」
この人の優しさを、素直に受け取れたらと思う。
だけどこれは、珠代さまの身代わりで、この人が見ているのは、私ではなくて……。
あの人が好きなのは、私じゃない。
そう言い聞かせておかなければ、気がおかしくなりそう。
昼前には着替えを済ませ、そのまま横になっていた。
食欲も戻ってきている。
じきに体はよくなるだろう。
外の空気が吸いたくなって、襖を開けた。
新鮮な風が一気に流れ込む。
すっかり体調は戻った。
晋太郎さんは変わらず日中を奥の部屋で過ごし、夜には衝立の向こうで眠った。
秋が深まる。
実りの季節に、桔梗は種をつけた。
「夕餉の支度ができました」
最近の会話といえば、これくらいしかないような気がする。
言いたいことも、他の用事も、奉公人や他の人を介して何もかも出来てしまう。
「ありがとう。いま行きます」
晋太郎さんは、盆に桔梗の種を集めていた。
すっかり荒れ野のようになった庭に、枯れた桔梗が立ち並ぶ。
そのとがった種サヤを指ですりつぶすと、小さな種が出てきた。
「これをまた、春になると蒔くのです」
嫌なことを思い出した。
私は去年、その芽を摘んで叱られたのだ。
「そうしたらまた、来年の夏には美しい花が咲くのです」
静かに微笑む横顔に、ふと顔を背ける。
この気持ちに説明のつかないうちは、きっと誰にも理解はされない。
自分でさえも、それが何であるのか分からないのだ。
私は無言のまま立ち上がり、その場をあとにした。
夜になり布団へ潜っても、その日は枯れた庭と桔梗の種のことばかりを思い浮かべて、いつも以上によけいなことを考えて考えて眠れずにいた。
晋太郎さんが来る頃になっても、まだ寝付けずにいる。