桔梗の花咲く庭
第6話
「竹男さまは、どうして妙善寺に?」
「秘密です」
明らかにムッとした私に、今度はその人が笑った。
「墓参りにゆくのです。今日が命日でございますので」
そう言った横顔は、とても快活でなんの曇りも迷いも感じさせやしなかったのに……。
「はは、正直に言われるのも、困るものでございましょう。よいのです。お気になさらず」
にこりと微笑んだその姿に、私は自分の愚かさを恥じた。
いらぬことを聞いた。
なんと声をかけていいのか、言葉を失う。
境内へ向かう長い石段は、斜面に沿ってどこまでも続く。
三人は何も話さず階段を上った。
寺門の大きな横木を乗り越える時、先をゆくその人は振り返ると、私に向かって手を差し出した。
それにつかまり門をくぐる。
触れた手から伝わる体温は、今も熱をもって胸を騒がせる。
「あ、ありがとうございました」
「いいえ。お役に立ててなによりです」
私たちの姿を見つけた小姓が駆け寄ってきた。
涼しげな横顔でそれを迎えるその人を、私は見上げていた。
もうこの旅路は終わってしまうのか。
なんてあっけないものだったのだろう。
せめて本当のお名前を教えてもらわなければ、もう一度お目にかかりたくとも、それも叶わない。
「あの……よろしければ、せめて本当のお名前を……」
そう言った私に、その人はふっと微笑んだ。
「黙安どの。この方より、坂本晋太郎さまへの文を言付けてもらえぬか。その後にこの方を、晋太郎さまのところへ案内してやってください」
抱えていた風呂敷から、しわくちゃになった文を取り出す。
不思議そうな顔をしたお小姓へそれを渡すと、その文はすぐ隣にいたあの人に向けられた。
「この方が、坂本晋太郎さまでございます」
「ご苦労さまでございました」
その人は文を受け取ると、私たちを見下ろし悪戯に微笑む。
うめと二人、一目散に石段を駆け下りた。
途中で転んだうめの手を取り、互いに驚きに泣きながら家路についた。
帰り道は来たときよりも、ずっと早くて簡単だった。
どうしてあんなにも私たちは泣きじゃくっていたのか、やっぱり不思議で仕方がない。
その門をいま一人でくぐる。
あれからの日々を、嫁入り支度のために費やした。
何も知らなかった私は、掃除の仕方から包丁の持ち方、針に糸を通すことから始めなければならなかった。
鳴り止まぬ胸の鼓動を抱え、眠れぬ夜を過ごし、なに一つ嫁としての心得が身につかない不甲斐なさに泣いた。
婚礼の日は本当にあの人が隣に来るのか、すぐにバレて気にいらぬと返されはしないかと、それだけが気がかりだった。
「秘密です」
明らかにムッとした私に、今度はその人が笑った。
「墓参りにゆくのです。今日が命日でございますので」
そう言った横顔は、とても快活でなんの曇りも迷いも感じさせやしなかったのに……。
「はは、正直に言われるのも、困るものでございましょう。よいのです。お気になさらず」
にこりと微笑んだその姿に、私は自分の愚かさを恥じた。
いらぬことを聞いた。
なんと声をかけていいのか、言葉を失う。
境内へ向かう長い石段は、斜面に沿ってどこまでも続く。
三人は何も話さず階段を上った。
寺門の大きな横木を乗り越える時、先をゆくその人は振り返ると、私に向かって手を差し出した。
それにつかまり門をくぐる。
触れた手から伝わる体温は、今も熱をもって胸を騒がせる。
「あ、ありがとうございました」
「いいえ。お役に立ててなによりです」
私たちの姿を見つけた小姓が駆け寄ってきた。
涼しげな横顔でそれを迎えるその人を、私は見上げていた。
もうこの旅路は終わってしまうのか。
なんてあっけないものだったのだろう。
せめて本当のお名前を教えてもらわなければ、もう一度お目にかかりたくとも、それも叶わない。
「あの……よろしければ、せめて本当のお名前を……」
そう言った私に、その人はふっと微笑んだ。
「黙安どの。この方より、坂本晋太郎さまへの文を言付けてもらえぬか。その後にこの方を、晋太郎さまのところへ案内してやってください」
抱えていた風呂敷から、しわくちゃになった文を取り出す。
不思議そうな顔をしたお小姓へそれを渡すと、その文はすぐ隣にいたあの人に向けられた。
「この方が、坂本晋太郎さまでございます」
「ご苦労さまでございました」
その人は文を受け取ると、私たちを見下ろし悪戯に微笑む。
うめと二人、一目散に石段を駆け下りた。
途中で転んだうめの手を取り、互いに驚きに泣きながら家路についた。
帰り道は来たときよりも、ずっと早くて簡単だった。
どうしてあんなにも私たちは泣きじゃくっていたのか、やっぱり不思議で仕方がない。
その門をいま一人でくぐる。
あれからの日々を、嫁入り支度のために費やした。
何も知らなかった私は、掃除の仕方から包丁の持ち方、針に糸を通すことから始めなければならなかった。
鳴り止まぬ胸の鼓動を抱え、眠れぬ夜を過ごし、なに一つ嫁としての心得が身につかない不甲斐なさに泣いた。
婚礼の日は本当にあの人が隣に来るのか、すぐにバレて気にいらぬと返されはしないかと、それだけが気がかりだった。