「好き」にも TPOが必要
「かっこいいですね」

 無駄のない動きで実験器具を操る姿に、ふと浮かんだ言葉が口をついて出た。背後のガラスから射した光が反射し、より洗練された佇まいに見えて、きっと可笑しな褒め方ではなかったはず。

 けれど、先生本人の手にあったビーカーは音を立てて滑り落ちた。思わず立ち上がると同時に着地先を見れば、テーブルの端を転がっていて亀裂も入っていない。無事なようだ。……が、止まっていない軌道は半円を描いていて、放置していれば硬い床へ叩きつけられてしまうだろう。「これ、」と近寄りながら知らせようと指差せば、先生の視線は宙を彷徨っていて、時折まばたきはするもののビーカーに気づく様子は欠片もない。

 状況からして、動揺させてしまった原因は私の発言。しかたがない、と手を伸ばし止めて渡そうと正面に立てば、ぱち、と奥二重の目がこちらを捉えた。

「マジで言ってる?」「……初めて言われたわ」
 珍しくフランクな口調で聞かれたそれは、今にも割れそうだったガラスのことなど眼中にないようで。まさか時差で反応されるとは思っていなかった上、勢いありきの発言を深く掘り下げられると気恥ずかしくなるのは、誰だって同じだろう。
「嘘ではない、ですけど……彼女でもできたんですか?」
 絶妙な甘さを醸し出してきた空気がいたたまれない。話の延長線上で茶化して誤魔化そうと付け足したからかいは伝わらずに「できてないよ」といつものトーンで返したその顔が、下がっていたマスクを直しても隠れないほど、火照っていた。

「え、」小さく震えた声と、一気に熱くなる頬。なにかの夢でも見てるみたいだった。
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