「好き」にも TPOが必要
 顔も見たくなかった。一人の人間にここまで乱されることは初めてで、対処法も知らない。

 白衣の端が視界に映るだけで痛む胸など、どうしたらいいのかわからなかった。幸いにも担任でも教科担当でもない先生だったから、避けようと思えばいくらでもやりようがあって、視界に入れないことで何も思い出さないよう、蓋をした。

 ただ、悲しいことに先生としてもつ権利……呼び出されてしまえば、心情などかかわらず向かうしかないのが生徒。嫌ですと何も知らない担任に言ったところで、余計に拗れるだけだった。
 

 無機質な理科室とは違う、通常教室。「俺のせいでしょ」静かな声が、しまい込んでいた感情を波立たせる。
「なんのことでしょう」伝わってしまいそうな震えを抑えて、感情を乗せないよう不自然な声を響かせた。「そんな表情してる子、放っておけるわけない」

 噛み合わない会話。紛れもない呼び出しの理由に、唇を噛む。知ってる、結局私は生徒で、先生は先生。今も先生としての立場で反省でもしているんだろう。「そんなかっこいいこと言えるんですね」久しぶりに発した褒め言葉に、意識の外、どこかが痛んだ。

「はぐらかすなって」低い牽制に、ぞくりと変な感覚。私が体験したこれまでに、雑で直球な声掛けはなかった。
「生徒として心配してるなら、大丈夫ですよ。元気ですから」余計な一言は、ここから先に踏み込むなら先生ではない、一人の男性であってほしいなんて身勝手な願いだった。
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