京都、嵐山旅館の若旦那は記憶喪失彼女を溺愛したい。
☆☆☆

戻ってきたとき春菜は改めて松尾旅館の大きさに圧倒された。


隣接している2つの旅館も負けず劣らず大きいが、それでもこの中では1番なんじゃないかと思う。


「あの、本当にいいんですか?」


裏口からすたすたと旅館の中に入っていく純一の背中へ向けて慌てて声をかける。


「え、なにがですか?」


立ち止まり、振り向いて首をかしげる純一。


「私なんか、得体のしれない人間なこんな立派な旅館にいても大丈夫なんでしょうか?」


今では声もスムーズに出始めている。


しわがれた老婆の声は消えていた。


「なにを言ってるんですか。あなたは高橋春菜さん。ちゃんと知っていますよ」


「でも……」


わかっているのはそれだけだ。


キャッシュカードを元に銀行に連絡を入れればもっと色々知ることができるかもしれないが、記憶喪失ということを信用してもらるかどうか怪しい。


銀行がそんなに簡単に情報を渡してくれるとは思えなかった。


「それなら、こうしませんか?」


ふと思いついた顔になって純一が言う。


なんだろうと次の言葉を待っていると「頭の傷が治ったら、当旅館の手伝いをしてください」


「手伝い、ですか?」


「はい。つまり、あなたはしばらくここの従業員になるんです。そうすれば何泊泊まっていただいてもかまいませんし、良心が痛むこともないんじゃないですか?」


確かに、働きながら泊まるのならこちらとしても申し訳なさが半減する。
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