京都、嵐山旅館の若旦那は記憶喪失彼女を溺愛したい。
そう思ってから軽く頭をふる。


なにを考えているの。


純一さんは記憶が戻ることを期待してこんなことまでしてくれているというのに、自分が浮かれてどうする。


「フロント業務も素晴らしかったようですね」


純一は下駄の音を鳴らしながら聞く。


春菜は洋服だから、履いていた靴を履いていた。


「いえ、そんなことはないですよ」


「ヒロミさんから聞きました。たいして教えていないのにマニュアルを読んだだけでお客様への対応ができていたと」


イジワルだと思っていたヒロミがそんなことを言っていたと知ってまた驚いた。


そういう報告はちゃんとしているみたいだ。


「それで、旅館で働いていたのではないかとヒロミさんに言われたようですね?」


「はい。だけどなにも思い出せないんです」


掃除にしてもフロント業務にしても、自分でも驚くほどにスムーズにできていると思う。


だけどその原因は未だにわからないままだった。


「そうですか。まぁ焦ることはありません。怪我は治っているんですから、後は記憶を取り戻せばいいだけです」


それが大変なことなのだけれど、純一はこともなげに言ってくれた。


それで心の重荷が少しだけ軽くなった気がした。
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