京都、嵐山旅館の若旦那は記憶喪失彼女を溺愛したい。
正直、今日ここへ誘われたときにはクビになってしまうんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだ。


「それよりも、なにか少しでも思い出すことはありましたか?」


松尾旅館に滞在して今日で3週間になる。


純一に拾ってもらったのはまだ3月のことだった。


「まだ、なにも」


そう答えて繋がれたままの手に視線を落とす。


純一はいつもこうやって優しく春菜をリードしてくれた。


春菜がどうしても病院や警察へ行きたくないと言ったときも、困った顔をしつつも春菜の気持ちを優先してくれていた。


「そうですか」


「でも、なにか深く落ち込むようなことがあった気がするんです」


「落ち込むようなことですか?」


春菜は自分が着ていたワンピースについて説明をした。


真っ黒で、まるで葬儀の帰りのようだったこと。


だけど靴は白い運動靴で、ちぐはぐでよくわからなくなったのだ。


「確かに、あなたの最初の格好については僕も気になっていました」


春菜を見つけた当初、それが人間であるかどうかわからなかったのは真っ黒な拭くでうずくまっていたからだ。


「誰かの葬儀の後と考えるとあの服装でも頷けますね。ただ、どうして運動靴だったのかはわかりませんが」


「そうなんですよね」
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