京都、嵐山旅館の若旦那は記憶喪失彼女を溺愛したい。
田島は驚いたように春菜を見つめた。


『ごめんなさい。私急用を思い出しちゃって、帰らないと』


早口にそう言い、バッグから5千円札を取り出してカウンターに置き、逃げるようにバーを後にした。


大慌てで店を出てきたものの、ここまでタクシーで来たためアパートまでの帰り道がわからない。


タクシーを捕まえなくちゃと大通りへ歩き出した時、後ろから腕をひかれて立ち止まった。


『ごめん悪かった。傷ついている君に漬け込んだのは事実だ謝るよ』


春菜の腕を強く握りしめたまま田島は頭を下げて謝った。


『別にいいんです。それに用事というのは本当ですから』


そう言ってまた手をふりほどこうとするも、今度はガッチリと掴まれてそう簡単には離してくれそうにない。


助けを求めて周囲を見回してみても路地には誰の姿も見当たらず、街灯がぽつぽつと灯っているだけだ。


『実は僕はずっと君のことを見ていたんだ。君が入社してきたときからずっとだ』


突然の告白に春菜は絶句した。


田島は一体なにを言っているんだろう?


こんなことを言われるために今日飲みに聞いたわけじゃない。


ただ、少しだけ自分の気が晴れればと思って、一緒に飲みに来ただけだ。


こんな展開になるなんて考えてもいなかった。
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