午後の水平線
1、6月の向こう側
「 ったく、あのヒゲ親父… あたしが、女だと思ってバカにして……! 」
里美は、走る車のハンドルを、ぐいっと回しながら呟いた。
タイヤがセンターラインを踏み、少し軋む。 セカンドシートに、無造作に置いてあった資料が、バラバラと床に落ちる。
里美は、それら無用となった『 紙切れ 』には目をくれず、一緒にシートに置いてあったセカンドバッグに、左手を伸ばした。
前方を見ながら、手探りでバックの中をまさぐる。
メンソールの外国製タバコを取り出し、口にくわえた。 シガーライターを押し、くわえたタバコを上下にプラプラさせながら、また里美は、独り言を呟く。
「 長年のカンですって? あのヒゲ親父…! コッチは、これでも広告のプロよ? リサーチの『 り 』の字も知らないクセして、言ってくれるじゃない…! 」
カツンと、ライターが上がる。
里美は、シガーライターを引き抜き、タバコの先に押し当てた。 2・3度、煙をくゆらせ、タバコに火を付ける。 ライターを戻し、右手の人差し指と中指にタバコを挟み、ふうっと、煙を吹き出した。
……窓ガラスを、少し開ける。
外気が車内に入り、心地良い。
里美は、窓ガラスを半分ほど開けた。
「 もう、初夏ね…… 」
季節は、6月。
梅雨の中休みに、のぞかせた太陽の光は、もう夏の予感を感じさせている。
海沿いを走る、国道247号線… 都市から離れた、田舎の国道だ。 辺りには、何も無い。
海岸線まで迫った山と、白いガードレール… 切り立った崖下には、太平洋の波が白く打ち寄せていた。
タバコの灰を灰皿に落としつつ、里美は呟いた。
「 こんな、辺鄙な所までプレゼンに来て、何も成果なしじゃ… また、チーフに、イヤミを言われるわ。 『 ドライブしに、行ってんじゃないぞ 』ってさぁ 」
デザイン案がまとまれば、帰りのこの道は、この上ない、快適な道となっていたであろう。
だが、計画案は挫折した。
心とは裏腹に、きらめくような初夏の光は、里美の心をあざ笑うかのように降り注ぐ。
カーブを、また荒っぽく運転する里美。
再び、タイヤが軋む。
「 根性なしタイヤ! ちゃんと、グリップしなさいっ! 交換しちゃうわよっ? 」
くわえタバコで叫ぶ、里美。
乗っている車は、社用車で、普通のバンである。 タイヤの径も幅も、スポーツタイプではない。 分かってはいるが、里美は車に、そのポテンシャル以上の能力を要求していた。
『 カララララララ、カンカンカン! 』
突然、聞き慣れない物音がした。
「 ? 」
窓の外に目をやると、物凄い勢いで、何か円盤状の物体が、道路をコロがって行くのが確認出来る。
「 …あっちゃ~…! 」
タイヤの、ホイールキャップが外れたのだ。
減速する、里美。
ホイールキャップは、そのまま道路をコロがり、次のカーブで縁せきに当たって、大きく弾んだ。
きらめく海原の光をバックに、ゆっくりと音も無く、スローモーションを見るように、弧を描くホイールキャップ。 そして、そのまま、すう~っと崖下へと吸い込まれて行った。
「 …… 」
停車した車の中で、ハンドルを握り締めたまま、里美は呆然とした。
くわえタバコの灰が、ポロリと膝の上に落ちる。
「 ンもぉう~~~っ……! 」
反対側の車線に、空き地がある。 里美は、そこへ車を移動させると、タバコを灰皿で揉み消し、車から降りて、ホイールキャップが落ちて行った辺りに駆け寄った。
潮の香りと、優しい海風……
崖下から噴き上げて来る風が、妙に心地良い。
一種の、小さな感動を感じながらも、里美は、落ちて行ったホイールキャップの行方を探した。
崖下は、白く泡立つ波が弾け、まるで洗剤を入れて回した洗濯機のようだ。 到底、ホイールキャップの存在は確認出来ない。 もし、岩に引っ掛かっていても、そこまで降りて行く事は不可能だろう。
里美は、泡立つ波を見つめながら呟いた。
「 あ~あ… 今日は、ついてないなぁ…… 」
後方の車を、振り返る。
…右前輪のホイールキャップが外れ、薄汚れた、むき出しのナットが見える。
「 カッコ悪いなあ~……! ディーラーに、お願いしなくっちゃ。 いくらぐらい、するのかしら… 」
再び、海面に目を向ける。
1台、トラックが通り過ぎたが、後は何も来ない。
静かだ……
岩場に打ち寄せる、波の音しか聴こえない。
「 今日のクライアントのトコは、何度か来たコト、あったけど… こんな、静かな所だったのね…… 」
無性に、海に足をつけてみたくなった。 それが、何故であるのかは分からない。 とにかく、海に触れてみたい… そんな心情だ。
「 ココは、ダメね… 降りられないもの 」
カーブの為か、ガードレールが、2重になって設置されている。 里美の、胸の高さくらいだ。
里美は、両肘をガードレールの上に乗せ、その両手の上に顎を乗せた。
「 いい風…… 気持ちいい……! 」
潮の香りを嗅ぐのは、何年振りだろうか。
現在、25歳の里美。 確か、大学4回生の時に、友人たちと海に遊びに行った時、以来である。 当時の、友人たちの顔が、思い起こされる。
( あれからもう、3年も経ったのかぁ…… みんな、どうしてるかな? 裕子は、聡クンと、まだ付き合っているのかな? )
…心地良い海風が、少しクセ毛のある、里美の髪を撫でる。
潮騒の音を聴きながら、しばし、里美は、ボ~ッとしていた。
ふと、道を少し行った所に、喫茶店らしき建物が建っているのに気付いた。 岬のように、海に張り出した崖の上に、白い壁の建物が立っている。 数台分の駐車場と、コーヒーのメーカーの看板も見えるようだ。
( あんなトコに、喫茶店があったんだ…… )
そう言えば、まだ昼食を取っていない。
「 …よし! お昼にしよう! うまくいかなかったプレゼンの事、考えたって始まらないわ。 また、再提出よ! 今度こそ、あのヒゲ親父、見返してやる…! 」
里美は、車に戻り、喫茶店の駐車場へと車を移動した。
「 いらっしゃいませ 」
カラン、カランと、入り口の木製ドアの鐘が鳴る。
食事時を過ぎたせいか、空席が目立つ店内。 所々に、南洋系の観葉植物が置いてあり、店内の雰囲気は良い。 天井には、2機のサーキュレーターが、ゆっくりと回っていた。
店内に入った里美は、一番奥の、窓側のテーブルに座った。 一面に、大きな窓があり、海が見渡せる。
( …キレイ…! )
遠くの海原が、太陽の光に反射し、キラキラと光っている。
梅雨雲の切れ間には、気の早い入道雲が浮かんでいた。
水平線を行く、貨物船の小さな影。 店内に、静かに流れる弦楽曲……
里美は、この景色・情景が、大変気に入った。
温室ものだろうか、テーブルの窓際には、ハイビスカスの小さな鉢植えが置いてあった。
「 いらっしゃいませ 」
中年の男性店員が、トレイに、水の入ったコップとおしぼりを乗せ、やって来た。
メニューを見た里美が言った。
「 じゃあ… エッグサンドと、ホットコーヒーを1つ 」
「 かしこまりました。 コーヒーは、何を炒れましょうか 」
里美の前のテーブルに、おしぼりとコップを置きながら、男性店員は尋ねた。
「 えっと… 」
もう一度、メニューを見直す、里美。
コーヒーくらい、喫茶店なのだから… と思い、何も見ずに注文したのだ。 よく見ると、豆が違うらしい。
いつも、インスタントしか飲まない、里美。 銘柄を書かれても、味が分からない。
「 え~… え~…… 」
悩んでいると、男性店員は、少し笑いながら尋ねた。
「 酸味が効いたものと、苦味があるものと、どちらがお好きでいらしゃいますか? 」
「 …… 」
店員の顔を見る、里美。
歳は、50代前半だろうか。 どうやら、この店のオーナーらしい。
白の立て襟シャツに、黒の蝶ネクタイ。 濃い、チャコール・グレーのスラックスに、深いエンジ色のロングエプロン。 身長は高く、180は、ありそうだ。 白髪の混じる短髪を、オールバック風に後ろへと流している。 ヤセ気味の体格で、綺麗に手入れされた、短めのヒゲが鼻下に見える……
( シブイ人……! )
まさに、そんな感じだ。
絵に描いたような、ロマンスグレー。
里美は、少々、ドキドキしながら答えた。
「 …あの… 苦味の効いた方が、好きです…… 」
自販機で買うコーヒーも、無糖系かブラックである。
男性は答えた。
「 かしこまりました。 では、ブルーマウンテンを、お持ち致しましょう。 香りが高く、酸味が少ないですから 」
「 有難うございます。 ブルーマウンテン… 聞いた事はあっても、飲んだコト、無いんです。 恥ずかしながら… あの… 原産国は、アフリカですか? 」
男性は、上品に微笑みながら答える。
「 ジャマイカです 」
…ヤブへびだった。 無学な所を、さらけ出してしまったようだ。
( もぉう~っ…! いつも一言、余分なのよね、あたしって…! )
顔を真っ赤にして、下を向いてしまった、里美。
窓の外には、白いカモメが一羽、ゆったりと飛んでいた。
里美は、走る車のハンドルを、ぐいっと回しながら呟いた。
タイヤがセンターラインを踏み、少し軋む。 セカンドシートに、無造作に置いてあった資料が、バラバラと床に落ちる。
里美は、それら無用となった『 紙切れ 』には目をくれず、一緒にシートに置いてあったセカンドバッグに、左手を伸ばした。
前方を見ながら、手探りでバックの中をまさぐる。
メンソールの外国製タバコを取り出し、口にくわえた。 シガーライターを押し、くわえたタバコを上下にプラプラさせながら、また里美は、独り言を呟く。
「 長年のカンですって? あのヒゲ親父…! コッチは、これでも広告のプロよ? リサーチの『 り 』の字も知らないクセして、言ってくれるじゃない…! 」
カツンと、ライターが上がる。
里美は、シガーライターを引き抜き、タバコの先に押し当てた。 2・3度、煙をくゆらせ、タバコに火を付ける。 ライターを戻し、右手の人差し指と中指にタバコを挟み、ふうっと、煙を吹き出した。
……窓ガラスを、少し開ける。
外気が車内に入り、心地良い。
里美は、窓ガラスを半分ほど開けた。
「 もう、初夏ね…… 」
季節は、6月。
梅雨の中休みに、のぞかせた太陽の光は、もう夏の予感を感じさせている。
海沿いを走る、国道247号線… 都市から離れた、田舎の国道だ。 辺りには、何も無い。
海岸線まで迫った山と、白いガードレール… 切り立った崖下には、太平洋の波が白く打ち寄せていた。
タバコの灰を灰皿に落としつつ、里美は呟いた。
「 こんな、辺鄙な所までプレゼンに来て、何も成果なしじゃ… また、チーフに、イヤミを言われるわ。 『 ドライブしに、行ってんじゃないぞ 』ってさぁ 」
デザイン案がまとまれば、帰りのこの道は、この上ない、快適な道となっていたであろう。
だが、計画案は挫折した。
心とは裏腹に、きらめくような初夏の光は、里美の心をあざ笑うかのように降り注ぐ。
カーブを、また荒っぽく運転する里美。
再び、タイヤが軋む。
「 根性なしタイヤ! ちゃんと、グリップしなさいっ! 交換しちゃうわよっ? 」
くわえタバコで叫ぶ、里美。
乗っている車は、社用車で、普通のバンである。 タイヤの径も幅も、スポーツタイプではない。 分かってはいるが、里美は車に、そのポテンシャル以上の能力を要求していた。
『 カララララララ、カンカンカン! 』
突然、聞き慣れない物音がした。
「 ? 」
窓の外に目をやると、物凄い勢いで、何か円盤状の物体が、道路をコロがって行くのが確認出来る。
「 …あっちゃ~…! 」
タイヤの、ホイールキャップが外れたのだ。
減速する、里美。
ホイールキャップは、そのまま道路をコロがり、次のカーブで縁せきに当たって、大きく弾んだ。
きらめく海原の光をバックに、ゆっくりと音も無く、スローモーションを見るように、弧を描くホイールキャップ。 そして、そのまま、すう~っと崖下へと吸い込まれて行った。
「 …… 」
停車した車の中で、ハンドルを握り締めたまま、里美は呆然とした。
くわえタバコの灰が、ポロリと膝の上に落ちる。
「 ンもぉう~~~っ……! 」
反対側の車線に、空き地がある。 里美は、そこへ車を移動させると、タバコを灰皿で揉み消し、車から降りて、ホイールキャップが落ちて行った辺りに駆け寄った。
潮の香りと、優しい海風……
崖下から噴き上げて来る風が、妙に心地良い。
一種の、小さな感動を感じながらも、里美は、落ちて行ったホイールキャップの行方を探した。
崖下は、白く泡立つ波が弾け、まるで洗剤を入れて回した洗濯機のようだ。 到底、ホイールキャップの存在は確認出来ない。 もし、岩に引っ掛かっていても、そこまで降りて行く事は不可能だろう。
里美は、泡立つ波を見つめながら呟いた。
「 あ~あ… 今日は、ついてないなぁ…… 」
後方の車を、振り返る。
…右前輪のホイールキャップが外れ、薄汚れた、むき出しのナットが見える。
「 カッコ悪いなあ~……! ディーラーに、お願いしなくっちゃ。 いくらぐらい、するのかしら… 」
再び、海面に目を向ける。
1台、トラックが通り過ぎたが、後は何も来ない。
静かだ……
岩場に打ち寄せる、波の音しか聴こえない。
「 今日のクライアントのトコは、何度か来たコト、あったけど… こんな、静かな所だったのね…… 」
無性に、海に足をつけてみたくなった。 それが、何故であるのかは分からない。 とにかく、海に触れてみたい… そんな心情だ。
「 ココは、ダメね… 降りられないもの 」
カーブの為か、ガードレールが、2重になって設置されている。 里美の、胸の高さくらいだ。
里美は、両肘をガードレールの上に乗せ、その両手の上に顎を乗せた。
「 いい風…… 気持ちいい……! 」
潮の香りを嗅ぐのは、何年振りだろうか。
現在、25歳の里美。 確か、大学4回生の時に、友人たちと海に遊びに行った時、以来である。 当時の、友人たちの顔が、思い起こされる。
( あれからもう、3年も経ったのかぁ…… みんな、どうしてるかな? 裕子は、聡クンと、まだ付き合っているのかな? )
…心地良い海風が、少しクセ毛のある、里美の髪を撫でる。
潮騒の音を聴きながら、しばし、里美は、ボ~ッとしていた。
ふと、道を少し行った所に、喫茶店らしき建物が建っているのに気付いた。 岬のように、海に張り出した崖の上に、白い壁の建物が立っている。 数台分の駐車場と、コーヒーのメーカーの看板も見えるようだ。
( あんなトコに、喫茶店があったんだ…… )
そう言えば、まだ昼食を取っていない。
「 …よし! お昼にしよう! うまくいかなかったプレゼンの事、考えたって始まらないわ。 また、再提出よ! 今度こそ、あのヒゲ親父、見返してやる…! 」
里美は、車に戻り、喫茶店の駐車場へと車を移動した。
「 いらっしゃいませ 」
カラン、カランと、入り口の木製ドアの鐘が鳴る。
食事時を過ぎたせいか、空席が目立つ店内。 所々に、南洋系の観葉植物が置いてあり、店内の雰囲気は良い。 天井には、2機のサーキュレーターが、ゆっくりと回っていた。
店内に入った里美は、一番奥の、窓側のテーブルに座った。 一面に、大きな窓があり、海が見渡せる。
( …キレイ…! )
遠くの海原が、太陽の光に反射し、キラキラと光っている。
梅雨雲の切れ間には、気の早い入道雲が浮かんでいた。
水平線を行く、貨物船の小さな影。 店内に、静かに流れる弦楽曲……
里美は、この景色・情景が、大変気に入った。
温室ものだろうか、テーブルの窓際には、ハイビスカスの小さな鉢植えが置いてあった。
「 いらっしゃいませ 」
中年の男性店員が、トレイに、水の入ったコップとおしぼりを乗せ、やって来た。
メニューを見た里美が言った。
「 じゃあ… エッグサンドと、ホットコーヒーを1つ 」
「 かしこまりました。 コーヒーは、何を炒れましょうか 」
里美の前のテーブルに、おしぼりとコップを置きながら、男性店員は尋ねた。
「 えっと… 」
もう一度、メニューを見直す、里美。
コーヒーくらい、喫茶店なのだから… と思い、何も見ずに注文したのだ。 よく見ると、豆が違うらしい。
いつも、インスタントしか飲まない、里美。 銘柄を書かれても、味が分からない。
「 え~… え~…… 」
悩んでいると、男性店員は、少し笑いながら尋ねた。
「 酸味が効いたものと、苦味があるものと、どちらがお好きでいらしゃいますか? 」
「 …… 」
店員の顔を見る、里美。
歳は、50代前半だろうか。 どうやら、この店のオーナーらしい。
白の立て襟シャツに、黒の蝶ネクタイ。 濃い、チャコール・グレーのスラックスに、深いエンジ色のロングエプロン。 身長は高く、180は、ありそうだ。 白髪の混じる短髪を、オールバック風に後ろへと流している。 ヤセ気味の体格で、綺麗に手入れされた、短めのヒゲが鼻下に見える……
( シブイ人……! )
まさに、そんな感じだ。
絵に描いたような、ロマンスグレー。
里美は、少々、ドキドキしながら答えた。
「 …あの… 苦味の効いた方が、好きです…… 」
自販機で買うコーヒーも、無糖系かブラックである。
男性は答えた。
「 かしこまりました。 では、ブルーマウンテンを、お持ち致しましょう。 香りが高く、酸味が少ないですから 」
「 有難うございます。 ブルーマウンテン… 聞いた事はあっても、飲んだコト、無いんです。 恥ずかしながら… あの… 原産国は、アフリカですか? 」
男性は、上品に微笑みながら答える。
「 ジャマイカです 」
…ヤブへびだった。 無学な所を、さらけ出してしまったようだ。
( もぉう~っ…! いつも一言、余分なのよね、あたしって…! )
顔を真っ赤にして、下を向いてしまった、里美。
窓の外には、白いカモメが一羽、ゆったりと飛んでいた。
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