午後の水平線

6、パンジー

『 ごめ~ん! もうちょっと、待っててくれるぅ~? 交代のインストラクターが、来なくってさあ~ 』
 携帯の向こうから聞こえる、淑恵の声。
「 構いませんよ? カティ・サークで待っていますから 」
『 悪いわねえ~  来たら、ダッシュするかんね~ 』
「 待ってます 」
 携帯を切る、里美。
 お気に入りの店なのだから、何時間だっていい。 おまけに、保科と会話が出来る……!
 里美は、奥のテーブルからカウンターに移った。 ここなら、客が来ても、保科と話しが出来そうだからだ。 馴染みの客になったようで、楽しい。 保科も、まんざらではないようだ。 時折り来店する、客のオーダーを作りながら、里美に話し掛けて来る。
「 デザイナーのお仕事は、大変でしょう? 美大に行った友人が、独立してデザイン事務所を経営していますが、自宅に帰るのは、いつも日付が変わってからだと言っておりました 」
 サイホンの蓋を閉じながら言った保科に、里美は答えた。
「 そうですね… まあ、お仕事は、何でも大変なのでしょうけど… 私は、ドンクサイから 」
「 ご謙遜を。 素敵なロゴタイプを創って下さったではありませんか 」
 笑いながら言う、保科。
( …ああ、もう… 保科さんに言われたら、お世辞だって嬉しいわ! )
 里美は、また顔を赤くした。
 金額を書き込んだ領収書を、カウンター越しに、保科に渡す。
「 確かに、領収致しました。 今回は、お仕事を頂き、有難うございました 」
「 ご丁寧に、どうも 」
 領収書を受け取り、カップ棚の隅にあった小さな引出しに入れる、保科。
 これで、事務手続きは完了した。 後は、客としての付き合いで良い。 気が落ち着く、里美。
( 日高さん… 思いっきり、遅れて来てくれないかな… )
 内心、そう思った里美であった。
「 ごめ~ん! 待たせちゃったぁ~ 」
 期待は外れ、淑恵が元気よく入り口の鐘を鳴らし、店内に入って来る。
「 あ、こんにちは、日高さん。 お忙しいのに、すみません。 私が、ジムの方にお伺いしても良かったのですが… 」
 心にも無いことを、営業ノリで言う、里美。
 淑恵は、先日持っていた同じトートバッグを、カウンター席のイスに置きながら答えた。
「 イイのよ~、そんなん。 あたし、勤務が午前で終わる時は、いつもココで昼食を取るからさ。 …マスター、いつものね! 」
「 かしこまりました。 ホットですか? アイスですか? 」
「 ア~イス! 季節も良くなったから、これからは、アイスでお願いね♪ 」
 陽気に、そう言いながら、早速、タバコを出す、淑恵。
 彼女の仕草につられ、思わず、セカンドバッグの中のタバコに、里美も、手を出しかけた。
 …今日も、とりあえず、保科の前では辞めておいた・・・

「 ふ~ん… この見積りなら、多分OKね。 所長が、知り合いの印刷所に聞いたら、もっと高かったもん。 コレ、印刷も含めての値段なんでしょ? 」
 淑恵が、里美からもらった見積書を片手に、トーストを頬張りながら言った。
「 そうです。 ウチが取り引きしている、印刷所で刷るんですが、ガンコな年配の方がやっている印刷所でしてね。 アガリは、料金に比べたら、驚くほど綺麗ですよ? 」
 見積書をたたみ、封筒に入れながら淑恵は答えた。
「 所長に、プッシュしとくね! 連絡は、明日でイイ? 」
「 構いません。 宜しくお願い致します 」
 一礼する、里美。
 淑恵は言った。
「 ねえ、堅苦しいの、ヤメない? あたし、苦手なのよね、そ~いうの。 タメで行こうよ、タメで。 ね? 」
「 …はあ。 まあ… 」
 苦笑いで答える、里美。
 淑恵が聞いた。
「 歳、幾つ? あたしは、26 」
「 25です 」
「 な~んだ、近いじゃん。 誕生日は? 」
「 3月です 」
「 え~、あたし、5月よ? …じゃ、ナニ? ホントに、同い年じゃん! タメよ~? 」
 淑恵が、バンバンと、里美の肩を叩く。 少し、年上かと思っていたが、里美と同年らしい。
 淑恵が言った。
「 これからは、名前で行こうよ。 えっと… 里美… だっけ? 」
「 ええ。 …淑恵さんでしたよね? 」
「 だぁ~からぁ~! 淑恵で、イイって~! 」
 気さくで陽気そうな、淑恵。
 お気に入りになった店で、知り合った彼女… 里美の、新たな友人になりそうである。

 小さな港町で、スポーツジムのインストラクターをしている淑恵は、話しによると、どうやら、バツイチらしい。 幼稚園の年長になる1人娘と、アパートで暮らしているとの事だ。
「 ま、あたしは、見た通りの騒がしいオンナだからさ。 ダンナも、嫌気が差して来たのかもしんないケド… だからと言って、浮気してもイイってワケじゃないでしょ? 」
 アイスコーヒーをストローで飲みながら、淑恵は言った。
「 浮気… されちゃったんだ、淑恵…! 」
 里美にとって、知人に、そう言った経緯のある人の話しを聞くのは、初めての事だった。ドラマか、映画の中での話しとしか、イメージが湧かない。 だが、淑恵は、あっけらかんと答えた。
「 ヒトが、家計を助ける為にパートに行ってんのにさぁ… 堂々と、自宅にオンナを引き込んでるなんて、あったま来んじゃない? 」
 …生々しい話しである。 ドコかの、オバさんたちの、井戸端会議の風体を模して来たようだ。
 店内の雰囲気に合わないと感じたのか、淑恵は提案した。
「 …ね? テラスに出ない? イイでしょ? マスター 」
「 構いませんよ 」
 笑いながら、カウンター越しに答える保科。
( …出来れば、保科さんと… )
 少々、不満ではあるが、知り合ったばかりの淑恵との交友を深めるには、付き合った方が良さそうだ。
 里美は、淑恵と共に、あのテラスへ出た。

「 あら? パンジー 」
 ガーデンチェアーの脇に置いてあった陶器製の白いプランターを見つけ、淑恵が言った。 小振りなサイズで、中には、小さく可憐に咲くパンジーが、3つほど植わっている。
 先程、保科と出て来た時に気付いていた、里美。
「 この前、来た時には、無かったよね? 」
 風になびく、色とりどりの花びらを見ながらイスに座り、里美は言った。

 …相変わらず、心地良い風が吹いている。
 ここに来ると、世間の煩雑さを忘れてしまいそうだ……

 淑恵もそうなのか、別れたダンナの事には触れず、イスに座ると、ぽつりと言った。
「 マスターの奥さんが、好きだった花なのよね…… 」

 …そうだったのか…

 テラスで、亡くなった奥さんの姿を、里美と交錯させた保科…
 里美は、つい先程、彼女の遺品である、カップを贈与された事を思い出した。 思い出の花、パンジーを用意したのも、亡き妻への想いが、保科をそうさせたのであろう……
 里美は、保科の優しさと、亡くした妻への愛情の大きさを想うのだった。
( あたしなんか… とても、入り込める領域じゃないかもしれないわ…… )
 保科と、どう言う関係になりたいのかは、里美自身、よく分からない。 また、保科の誠実そうな性格から見ても、どこかの恋愛小説にあるような悲恋ストーリーへの展開期待に応えてくれるとは、到底、思えないし……
 ただ単に、憧れる存在… 現在のそれが、一番良いのかもしれない。
「 里美くらいの、セミロングの髪でさ… 鼻筋の通った、素敵なヒトだったのよ? マスターの奥さん 」
 テーブルに両肘を突き、組み合わせた両手の上に下顎を乗せ、遠くを見つめるような視線でパンジーを見つめながら、淑恵は言った。

 緩やかな潮風に揺れる、色鮮やかなパンジーの花弁……

 淑恵は、両腕を膝に下し、ガーデンチェアーの背もたれに背を付け、ゆったりと座ると、続けた。
「 スキューバの、国際資格を持っていてね… 奥さんに憧れて、あたしもスポーツインストラクターになったの 」
「 そうなんだ…… 」
 里美も、パンジーを見つめながら答えた。
 少し、顔を上げると、軽く息をつき、テラスの軒先辺りに視線を彷徨わせながら、淑恵は、更に続けた。
「 もう、7年前になるかな……? 奥さん… 更に、ワンランク上の資格を取る為、モルディブへ行ってね。 潜水限度時間を過ぎても戻らない、ツアー客の救助に向かったまま、それっきり、還って来なくなっちゃった…… 」

「 …… 」

 何という、過去であろうか……!
 里美は沈黙した。
 淑恵が続ける。
「 どんなに探しても、奥さん… 見つからないの。 ツアー客は、奥さんのシュノーケルをくわえたまま、亡くなっているのが見つかったらしいケド…… 」
「 …… 」
 言葉が出ない、里美。
 淑恵は、パンジーを見つめながら言った。
「 マスター、言ってた… 海は、奥さんにつながっているんだって。 だから、ココから動かないんだって…… 」

 『 店の名前は、変えたくないんです 』

 再び、保科の言葉が、里美の脳裏に想い起こされる……
 保科は、海の近くから離れたくないのだ。
 海の側に、いる事… それは、保科にとって、最愛の妻の隣にいると同じ意味合いを持つのだろう。 当然、店名を変えたくないと言った保科の心情も、手に取るように理解出来る。

 帰ることの無い妻を、待ち続ける男……

 それが、保科だったのだ。
 彼から、感じ取れる雰囲気…… それは、誠実な保科の性格も加味しつつ、永遠に終わる事の無い、人生の『 悲恋 』があっての事だったのだ。
( あたしは… そんな、かけがえのない… 想い出の詰まったカップを託されたんだわ…… )
 重圧は、感じなかった。
 …いや… むしろ、嬉しかった。

 優しい海風にそよぎ、揺れる、パンジーの花びら……
 里美は、鮮やかに咲き誇る、その生気溢れる色を見つめながら、見る事の出来なかった女性の顔を、想像していた……







< 6 / 18 >

この作品をシェア

pagetop