sugar spot




「…別に…っ、1週間始まる気合い入れてただけ!」

お気に入りの仕事用のバッグを肩にかけ直しつつ、誤魔化して告げたら、前方からは痛いほどの視線を感じる。


「…な、なに。」

「……顔、赤。」

笑い声を喉で噛んで殺すようにして、少しだけ表情を緩める男を見ていたらまた、体温が急上昇してしまう。


この男は、なんなの。

今までとは明らかに違う雰囲気を感じて、
警戒心剥き出しで見つめても、全く堪えていない。


私だけがペースを乱されている気がして、未だ愉しそうな男を置いていくように、ずんずんとエレベーターへと向かった。


足を最大限に進めながら、
どこか余裕そうだった男にモヤモヤしてしまう。

こっちばかりが、気にしているのだろうか。

もしかして。



あの男にとっては、

何も、大したことでは無いのだろうか。



◻︎


「……は?」

「………。」

「待って。何でそうなるの?」

「だって、能面は能面のままなんだよ。
もしかしたら、手慣れてたり、するのかも。」

「え、分からないワカラナーイ!!
そこまで進んで、何でこんな拗れるのか、
もうびっくり通り越して分からない。」



目の前で文字通り頭を抱える奈憂にかける言葉が、こちらこそ見つからない。

先ほど運ばれてきたマルゲリータを、口を尖らせつつピザカッターで切り分けようとしたら「ちょっと、ピザとか食べてる場合じゃ無いから。整理しよう。」と制されてしまった。


「展示会で、アーリーがぶっ倒れて。」

「うん。」

「救護室でキスかまして。」

「…い、色々と端折りすぎているんだけど?」

「なに、違うの?」

…たしかに間違えては居ないけど。


「で?どうして花緒の見解が、
アーリーはプレイボーイかも説になっちゃうの?」

「……だって、今日会った時も全然余裕そうだったし、それか、もしかしたら熱出てたし覚えてないのかもしれない。」

「ど、どこの漫画の話なのですか〜〜?!
大体の大人は、熱出たくらいで
記憶飛ばないと思いますけど!?」

「……。」


奈憂は、こういう時ほど、
とてもリアリストな気がする。

じゃあ、覚えてたとしたら、
あの余裕な態度の理由を、誰か教えてほしい。


「…それより。こんな話、
態々私にしてきたのはどうして? 
絶対揶揄われるって思ったでしょ。」

「…思った、けど、」

今日の仕事終わり。
私は奈憂を呼び出して、お互いの最寄り駅からアクセスも良いイタリアンレストランに来ていた。

私からカッターを奪った奈憂が、器用にピザを等分してくれる様子を見つめながら、言葉は落ちた。



「……ずっと、誤魔化してたから。」

自分の中でも、誰にどう、尋ねられても。

あの男はムカつく対象で、なんとも思っていないと。
そう突っぱねることで、
ずっと安全な場所に自分を置いていた。

もう2度と傷つくことがないように、心に沢山のバリアを張って、守ることを優先してきた。


____でも。


「うん?」

「土日に凄く、悩んだけど、
やっぱり奈憂に、言いたいと思って。

だ、誰かに宣言したら、もう自分でも逃げられない気がするから、申し訳ないけど、巻き込みたい。」



「……良いよ。なに?」

ふ、と微笑んで私を促すこの女は、
もう全てを見透かしている気がする。



「___私、あの能面のこと、多分、好き。」


情けない顔と声で伝えたら、ほっとしたような表情で「やっと言った」とやっぱり笑う。

言葉にしたら、もう、ずっと前からとっくにそうだった気がしてきてしまう。
それを自覚したら涙が出そうになるのは、何故だろう。


「知ってたの?」と問いかけたら「当たり前じゃん、私は花緒みたいに馬鹿じゃないもん。」と失礼過ぎる回答を得る。



「は〜〜〜やっとここまで来たのに…

物理的にちゅーまでかましたくせに、何でこんなよく分からないところで止まるのかなあ?」

「…そ、そんなの私が聞きたい。」

「拗れ合う天才達なの?」

謎の賞賛を受けて溜息を吐いたら、目の前で同じように奈憂も溜息を漏らす。


「…花緒は、有里にも展示会でのこと、
ドキドキしてて欲しいんだ?」

「…なぜ、そんな言い方をするの?」

「ちがうの?」

「……」

「え、違うの?」

違うなら謝るね、と畳みかけつつ
微笑む女を睨みつける。


「……そ、そうだよ…っ」

どうにでもなれ、という気持ちで自棄になって肯定したら、「は〜、ば花緒が愛しい…」と態とらしく泣き真似をされた。ムカつく。



「余裕綽々としてるかどうかなんて、
聞かないと分からないじゃん。」

「……ほ、本人に?」

「他に誰がいるの。」


だってそれはもう、
気持ちを確かめることに直結してしまう。

相手の思いを、勘繰っている時も当然怖い。

だけど、直接それを確かめることは、
もっともっと、怖いに決まっている。


「…花緒。アーリーのこと、知りたく無いの?」



__"……今日、花、助かった。感謝してる。"

「……し、りたい、」

ぶっきら棒な声で、初めてお礼を言われた。

いつもいつも分かりにくい男の、
本当の気持ちに触れたら嬉しかった。



そういう些細な感情の渡し合いだけで、
私は、嬉しくなれるんだけど。



____そっちは、どう思ってるの?



「じゃあ頑張るしか無い。」と笑った奈憂に釣られて情けなく破顔しつつ、頷く。

「あ。後一つ言っとくけど。」

「なに?」

「私の推しが、女たらしみたいな言い方
やめてくれる?」

「……ご、ごめんなさい。」

「花緒も、そんな訳無いって
分かってるんじゃ無いの?」

「………、」

適当なことはきっと、あの男はしない。

仕事でも、いつもそうだ。

熱が出たって構わず業務を気にするような、
責任感を固めてできたような男が、
適当なことをしないって、流石にもう分かる。


「…奈憂、ありがと。ちゃんと話す。」

「……」

「奈憂?」

「研究終わるのかと思ったらちょっと寂しくなってきたけど、もうこれ以上拗れられましても、という葛藤を抱えてる。」

「何を言ってるの?」


「ば花緒には、分かんなくて大丈夫」と、また失礼な言葉で流してくる奈憂は、とびきり可愛らしい笑みを見せた。
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